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「そうですか。全員アリバイ無しですか。わかりました。わざわざご連絡ありがとうございます」 沢村はそう言ってから、しばらくしてスマホを切った。 「ふーむ」 「ねえ、全員アリバイ無しって、ひょっとして今の電話、あのイケメン警部さんから?」 「そう、牛若警部から。君はああいう人がタイプなんだな」 「いや、別にタイプってわけじゃないけど、普通にイケメンでしょ、あの人。あんたと違って出世コースに乗ってるエリート刑事って感じだし」 「まあ否定はしないけど、あんたと違ってだけ余計だ」 「あ、さーせん」 玲子が珍しく素直に謝ったのは、実は沢村もかってはエリート編集者として将来を嘱望されていたことを知っているからだ。 ほとんどトップランナーといっていい存在だった。 しかし沢村は、自社の内部に蔓延る不正を公表し、自分が編纂する雑誌でそのことを追及して、逮捕者まで出たことで、結局社内からの圧力もあって出版社を追われていた。 当時の沢村の真実を追及する姿勢に賛同していた玲子としては、今のフリーライターの立場にある沢村に、不憫さすら感じていたから、今のは失言だったとすぐに認めたのだ。 ただまあ、この人、ちょっとやりすぎるきらいは多々あるんだけど… 「でも全員が全員、揃ってはっきりしたアリバイがないっていうのも、逆に犯人が絞りずらくて厄介ね」 「ああ。ほとんど振り出しに戻るって感じだな。他に何か有力な情報とかがあるといいんだが…。君は一応、生前の被害者と仕事の上とは言え、付き合いのあった立場になるわけだけど」 「はい?」 「何か事件に関係する話とか、生前の日立氏から聞いてないのかい?」 「何も。別に。私生活の話は噂や外聞でしか聞いたことないし、別にそんなに頻繁に一緒に仕事してたわけじゃないから」 「まあ、あの日立氏の日記には、君の悪口どころか存在すら記載されてなかったものな」 「あの人の原稿料の前借り交渉を会社としたのは私なのよ。少しは世話になったことくらい、書いといてくれてもいいのにね」 「でも、そうなると、君も日記の中の登場人物の一人になるから、重要参考人か容疑者扱いにされかねんぞ」 「あ、そうか。だったら書かれていない方が面倒臭くなくていいか。あ、"書かれていない"と言えば、日立さんはこの会社に来る途中か帰り道に、よくこの近くにあるカフェにいつも寄ってたみたいだけど、そう言えば、あの店についての記述も全くなかったな」 「そのカフェの常連だったってこと?」 「うん。だって私、その店までよく呼び出されたのよ。近くまで来てるんだから、ここまでちゃんと来ればいいのに。で、そこで結局打ち合わせ。コーヒー代は会社持ちにされたわ。まあそれが狙いで私を呼び出してたんだけど」 「セコい話だな」 「私がセコいんじゃないわよ。会社にツケようとする方が圧倒的にセコいじゃん」 「わかってるよ。そうか、じゃあこれから、そのカフェに行って話を聞こう」 「うん、そうね。あ、あんたのコーヒー代は会社持ちにならないからね。先に言っときますけど」 「やっぱ、そこ気がつくよね」 * 「ええ、日立さんは、うちの常連さんでしたよ」 カフェ・アデューフィリピーヌのマスター・石坂は、にこやかに対応した。 「何か、事件に関係するようなこと、生前言ってませんでしたか?私は仕事の話ぐらいしかしなかったもので」 玲子は、前に顔を合わせたことがある、小粋な髭を生やした石坂に、それとなく質問した。 「殺人事件だそうで。うーむ、うちにいる時は他愛ない話しかしなかったですからね、あの人」 「奥さんとかお友達とか浮気相手のこととか、話してませんでしたか?」 「うーん、あの、言いにくいんですけど、あなたの話はしてたことありましたよ」 「え?私の話?」 「その、随分あなたのこと、可愛いとかなんとかよく言って、かなりお気に入りだったようで。ここに、あなたを呼び出しては、これからあの子とデートだとかよく言ってましたよ」 「ええ?!マジすか?いやいやいや、デートなんかしたことないです!仕事の打ち合わせしてただけで」 「わかってます。まあ何事もそんな調子だったわけですよ。冗談なんだか本気なんだか、よくわからない言動が多い人でしたから」 おいおい、私が可愛いって言われたことも冗談だかマジだかわからないって言うの?と玲子は一瞬思ったが、勿論口に出さなかった。 でも、あんな奴とデートだなんて、マジ勘弁してほしい、と玲子は軽く憤りを感じた。 沢村がニヤニヤしながら口を挟んだ。 「"可愛い"って言ってたことだけは冗談じゃなかったって、言ってあげてくれます?この人に」 また余計なことを! 何でそういう美味しいポイントを突いてくる! 「いやいや、そんなの冗談で言ってただけですよねえ。ですよねえ」 「え、ええ、まあ冗談だと思いますが…」 そこは否定してほしかった!髭のマスター! あ、そうか、「ですよねえ」を二回言ったことが逆効果に。 おまけに沢村のせっかくの美味しいフリまでパーにしちゃった アチャー。 玲子はヘコんだ気持ちを抑えて、さらにマスターに質問した。 「あの、もう一回聞きますが、奥さんの話とか、友人の話とか、浮気相手の話とか、そっちの話はしてなかったですか?」 「そうですねえ、まあ、奥さんと離婚しそうだという話は聞きましたけどね。何でも別居中だそうで。日立さんの浮気が原因だというのも聞きましたし、その浮気相手の水商売風の女性をここに連れて来たこともありますよ」 「え?そうなんですか?」 「ええ。なんかイチャイチャしてましたけどね。あんまり派手にイチャつくんで、あの、私、普段はお客様の事情に口なんか絶対挟まないですけどね、さすがに黙ってられなくて、"別居中とは言えまだ結婚してるんだから、少しは慎んだ方がいい"とやんわり言ったんですよ。そしたら…」 「はい?」 「そしたら、あの人、妻の方も浮気してるんだから、おあいこだとか言い出して」 「え?奥さんも浮気してると?」 「ええ。でもそんなのどうせ、口から出まかせの言い訳じゃないか?とすぐに思ったんですけど、そしたらあの人、スマホの写真見せてきたんです」 「写真?」 「そこには奥さんらしい女性と、なんかこう学者っぽい感じ男性が仲良く話してる姿が写ってましたよ」 「それが浮気の証拠だと?」 「という意味じゃないですか?俺の友達と浮気してるんだとか言ってましたけど…」 学者風の男で日立の友人、ひょっとして近松京一のことか? と玲子はすぐに思った。 近松京一と日立の妻・敦子がデキている?? となると…. 玲子は不意に沢村の方を振り返ると、沢村は黙って頷いて目を輝かせた。
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