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カフェ・アデューフィリピーヌに出向いた玲子と沢村は、すぐにテーブル席に着くと、コーヒーとカフェオレをマスターの石坂に注文した。
「あのイケメン警部さんから、また連絡があったの?」
玲子は到着したカフェオレを飲みながら、すぐに正面の沢村に口を開いた。
「ああ。事件捜査が進展したと牛若警部から。何か話したいことがあるそうだ」
「ふーん、ま、私はせいぜい、あんたのバーターとして着いてくわ」
「バーターにしてはいつもエラそうだよな。まあ、いよいよ事件も佳境に入ってきたってことだな」
そう言いながら、コーヒーを飲む沢村の姿は、彫りの深い端正で美しい顔立ちに金髪というルックスからか、まるで外国人モデルによるコーヒーのCMみたいに決まってるな、と玲子は思った。
その時ふと、玲子は、奥の席に、見覚えのある女性が座っているのを見つけた。
会って話したことはないが、あれは確か、牛若警部に特別に見せてもらった容疑者の顔写真の中にあった女性の顔だ。
確か、安西遥とかいう被害者日立の浮気相手のキャバ嬢ではないか?
そのことには、どうやら沢村も気がついていたようで、ちょうど沢村の真後ろ辺りの奥の席に座っている安西遥をチラチラ気にしているようだった。
安西遥は、妙に金のかかってそうな派手な身なりの男と向かい合わせで座っていたが、男は遥の客かもしれない。
所謂、キャバ嬢の同伴出勤というやつか、と玲子は思った。
「マスター」
その時、不意に沢村が手を挙げて、マスターの石坂を呼んだ。
石坂は返事をした後、不思議そうな顔をして、沢村の方にすぐに寄ってきた。
「はい、何か?」
「奥の席の二人連れのこと、知ってます?」
沢村はいきなり石坂に質問した。
「ええ、よくご利用戴いている常連さんですが」
「男性の方もですか?」
「ええ」
「どういう人です?」
「ああ、金融会社の社長さんです。よく二人でウチにおみえですよ」
「でも女性の方は、日立さんの浮気相手ですよね」
「ええ…でも、日立さんとあの社長さん、古いお知り合いとかで」
「え?そうなんですか…。あの、ちょっとお話したいんだけど、顔繋いで貰えませんか?」
「はあ」
「あっちの勘定はこの人が持ちますんで」
「おい!貴様、何を!」
「お願いします」
「はあ、そうですか、まあじゃあ一応、お声掛けだけはしてみますよ」
「すいません」
マスターの石坂はすぐに奥の席へと向かい、そこに座っている派手な男に話をし始めた。
「コラ!何で私が勘定持つのよ!」
玲子は沢村を睨みつけて、ドスの効いた声を出した。
「打ち合わせの経費で落としゃいいだろ」
「そんな経費は出ない!あんた、うちの会社の経理が厳しいの知ってるでしょ!」
「いや、仕事の一環ということでさ…」
「ダメ!勘定はあんたが持つことね」
「何で俺が!?」
「自分で蒔いた種は自分で刈り取る。常識でしょ」
「あちゃー、いやはや、近頃は世知辛い世の中になったもんですなぁ」
「世の中関係ない!」
しばらくして、マスターの石坂の案内で、派手な身なりの男と安西遥が座っている奥の席に、沢村と玲子は向かった。
金融会社の社長らしい派手な男は本宮と名乗った。
「すいません、おくつろぎのところお邪魔致しまして」
沢村は珍しくへり下って謝罪した。
「いえ、いえ、で話って何ですか?」
「はい、あの先日、不幸にも殺害された日立了さんって方ご存知ですか?」
沢村がそう言うと、手前に座る安西遥が急に怪訝な顔つきで沢村を見た。
「ええ、知ってますよ。古い知り合いです、というか、昔の仕事の同僚ですね。最近会ってませんでしたけど」
「え?そうなんですか?あの、こちらのお店で顔を合わされたことは?」
「ないですよ」
本宮は不思議そうにそう告げたが、その時手前に座る遥が、沢村を睨みつけて口を開いた。
「あんたら何?警察でもなさそうだけど、何なの?」
「ええ、ちょっと事件を取材している出版社の者でして」
あながち嘘でもないが、すかさず玲子は口を挟んで、自分たちの捜査であることを怪しまれないようにした。
「マスコミ?ふーん」
遥は不貞腐れたような相槌を打って、すぐにそっぽを向いた。
「あの、本宮さん、昔は日立さんと同じ仕事をなさってたんですか?」
沢村が改めて質問した。
「ええ、まあこっちは同じ商売ですよ。向こうは辞めちゃいましたけどね。同じ金融会社で仕事してたんです。今は私は自分でやってますが」
「え?日立さんは昔金融会社にお勤めだったんですか?しかし履歴を見てもそんな記録は…」
「ハハハ、そりゃないですよ。だって私も彼も取り立て専門でしたからね。お恥ずかしい話、キリトリ稼業ってやつで、お勤めなんて立派なものじゃありません。今は私はちゃんとした会社をやってますけどね」
なるほど、ヤクザまがいの借金取りというやつか、と玲子はすぐに思った。
「何で日立さんは辞められたんですか?」
沢村はすぐに聞いた。
「法律が変わりましたからね。色々ヤバいでしょ。過払金請求で弁護士が稼ぐ時代ですから。だから彼は足を洗ったんでしょ。ただあいつは、逆に金を借りまくる借金大王みたいな奴になっちゃいましたけどね、ハハハ」
「では本宮さんも日立さんにお金を貸してるんですか?」
「いやいや、私は今はまともな金融会社をやってますのでね、あんな借りた金を返しそうもないだらしない奴、審査の対象外ですよ。随分前に泣きつかれたこともあったけど、こっちもビジネスなんでね」
「はあ、そうすると日立さんとの貸し借り関係はなかったんですね?」
「ないですね。まあ確かに、かっては彼と二人で借金で焦げついてるサラリーマンやら店やら主婦やら会社やらにキリトリに行きましたけどね、昔の話に過ぎません。あ、違法なことはしてないですよ」
「そうですか。いや、どうもお時間戴き、お邪魔してすいませんでした。ありがとうございました」
「あの、調子に乗って色々話しちゃったけど、記事にするなら私の名前は匿名でお願いしますよ」
「わかりました。ありがとうございました」
沢村と玲子は頭を下げてから、マスターの石坂にも礼を言いに行き、その後、元の自分たちの席に戻った。
席に戻ってから、ふと、安西遥が何度かチラチラとこちらを気にして見ていることに、玲子は気がついた。
「あの浮気相手、こっちを気にしてるようだな」
沢村も気がついていた。
「うん、なんかソワソワしてるわね」
「そりゃそうだろ、フフフ」
沢村が唇を歪めて笑ったので、"またその笑い方!"と玲子は不愉快になったが、しかし"そりゃそうだろ"という言葉が気になった。
「フフフはムカつくけど、何が"そりゃそうだろ"なのよ?」
玲子はすかさず単刀直入に聞いた。
「後でわかるよ。フフフ」
沢村はそう言ってまたニタリと笑うと、後ろの安西遥の方を見た。
「何よ!」
はっきり答えない上に、またしてものフフフに苛つきながら、玲子は沢村を睨みつけた。
*
「今日はもうお仕事は終わりですか?」
急に声を掛けられてギクリとした安西遥は、すぐに後ろを振り返った。
そこには、すでに遥が勤めるキャバクラ店も閉店した深夜1時だというのに、さっきカフェ・アデューフィリピーヌで話し掛けてきた、沢村と吉岡とか名乗った出版社の男女2人がいた。
「なあに?私の出待ちってわけ?私、アイドルとかじゃないんだけど?」
「さっきは、そちらに差し障りがあると思って遠慮させてもらったんですよ。これでも気を遣ってるんですよ」
沢村は妙にニヤニヤしながらそう言った。
「はあ?意味わかんないし」
「さっきあなたに聞きたかったことを伺いたくて出待ちしておりました」
「なあに?了君の事件のこと?」
「まあ似たようなもんです。その了くんは、あのカフェ・アデューフィリピーヌの常連で、あなたと一緒に店に来たことがあると聞きました。なのにあなたは、同じく不倫相手であり、きっとパトロンでもある本宮氏とも一緒にあのカフェに同伴している。で本宮氏は旧知の日立了氏とは最近会っていないと言う。なんかおかしくないですか?」
「はあ?いきなりなぞなぞかよ?」
「同じ店に本宮さんも日立氏も常連として顔を出しているのに、バッティングしない。そしてあなたはいつも本宮さんと同伴でしかあの店に来ない」
「そりゃ仕事で使ってるだけの店だし」
「しかし、たまたま本宮さんとの同伴中に日立氏と鉢合わせることもあるでしょ」
「ラッキーなことにないのよね」
「いやいやいや、ラッキーとかじゃないでしょ。日立さんはあなたが本宮さんを太客にしていて、あなたが本宮さんの愛人になっていることを知ってましたね?」
「さあ」
「それで本宮さんから借金を断られた日立氏は、あなたを通じて本宮さんから金を引き出そうとした」
「何のこと?」
「ひょっとして、本宮さんと付き合っているのは日立氏に頼まれたからですか?本宮さんからあなたを通してお金を引き出すために」
「え?そうなの?」
沢村の話を後ろで聞きながら、玲子は驚いて声を出した。
「ちょっと何言ってるかわかんないだけど」
遥はそう言いながら目を光らせた。
「でもあなたはその本宮さんから貰ったお金を日立さんには流していない」
「はあ?」
「日立さんはそのことに怒ってあなたを問い詰めた。二人は口論になった。そして、それから…」
「か、勝手な作り話だわ」
「でも有り得ない話じゃない」
沢村はそう言うとニヤリと笑った。
「マ、マスゴミが勝手に妄想膨らませてればいいわ。あの、もう遅いから帰るわ。まだこれからアフターが残ってるのよ。忙しいのよ、私」
「そうですか」
「じゃあね。また私に会いたかったら客として店に来ることね。妄想、乙です。フフフフフ」
そう言うと、遥は沢村を厳しい目で睨みつけながらも、不敵に笑って去って行った。
「なんか怪しいわね」
玲子は遥の後ろ姿を見送りながら、不意にそう口にし、眠い目を擦りながら考えを巡らせた。
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