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そのワンルームマンションは、駅から少し離れたところにあり、交通の便がいいとは言い難い場所にあった。 編集者の吉岡玲子は、その日、ライターの日立了の住むワンルームマンションを探して歩き回っていた。 ようやく見つけた、そのマンションの階段を玲子は上っていき、二階の隅にある日立の部屋に足早に向かった。 「ったく、この忙しい時に」 実は日立には、ある取材記事を依頼していたのだが、原稿の締め切りが過ぎても一向に連絡がないため、玲子は何度かメールや電話を入れたのだが全く音信不通状態となっていたため、仕方なく日立の自宅を訪ねる羽目となったのだ。 二階の奥まで行くと、玲子はさっそく備え付けのインターフォンを押した。 だが何度押しても、返事がなかった。 不在なのか? まあそれもありうる。 原稿を放ったらかしでどこかへ出かけている可能性は十分にある。 原稿料の前借りに応じて先にお金を渡してあるのに、もう何て奴! 玲子は憤慨しながら、もう一度インターフォンを押し続けた。 しかし、玲子はその時、ふとドアノブに目を向けた。 まさかな、そんな不用心なことがあるはずは… そう思いながらも、どうしても気になった玲子は、一か八かでドアノブに手を掛け、回してみた。 ドアノブが回った! ということは、部屋は施錠されていないのだから、日立はこの中にいるということか? ひょっとして、こんな真っ昼間にまだ寝ているのか? そう思いながら、玲子は「失礼しま〜す」と一応声を掛けてから、ドアノブを再度回し、そのまま部屋のドアを開けて、中に入った。 玄関で足踏みしながら、部屋の中に入るか否か玲子は躊躇した。 そこでもう一度、家主に声を掛けた。 「すいませーん、日立さん。いらっしゃいますか?吉岡ですけど」 だが中から返事はなかった。 「あの、原稿の件なんですけど。締め切りとっくに過ぎてまして。どうなってますか?」 やはり返事はない。 仕方なく玲子は、ローヒールを脱いで部屋に上ることにした。 勝手に部屋に入ったことを日立に怒られたら、原稿が遅れに遅れていることや、原稿料の前借りの件を指弾してやろうと思った。 「失礼しま〜す」 部屋に入り、キッチンを抜けて、その奥にある扉に手を掛けた。 ワンルームマンションだから、この扉の向こうがリビングだろう。 そこでまだ呑気に寝ているのかもしれない。 玲子が扉を開けると、リビングルームの様子が一望出来た。 すると。 「キャー!」 思わず玲子は悲鳴を上げた。 目の前には、血を流して倒れている日立の姿があった。 「ちょ、ちょっと日立さん!」 玲子は日立に恐々近寄った。 だが少し怖くなって、ある程度距離を取って、遠巻きに倒れている日立を見下ろした。 日立が息をしているようにはまるで見えなかった。 玲子はすぐにスマホから警察に通報した。 大変なことが目の前で起きているのに、あまりに唐突過ぎて、現実感がまるでなかった。 夥しい血が、日立の死体の周りに飛び散っているのに気づいて、急に背筋が寒くなった。 警察に通報し、スマホを肩にかけたトートバッグにしまいながら、玲子は目線を、否が応でも日立の死体の方に向けざるを得なかった。 だがその時、血まみれの死体の周辺の床に、何かが置かれていることに気がついた。 「何?」 玲子は目線を近づけて、そちらを凝視した。 するとそこには、文字の書かれた色紙と、一冊の本が置かれていた。 色紙の文字の方をさらに注視した。 色紙には、「一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねといのりてしこと」 と書かれていた。 そしてその傍らに置かれた本は、石川啄木著「啄木・ローマ字日記」であった。 「啄木…?」 玲子は石川啄木の本を少しは読んだことがあった。 だから、色紙に書かれている文面が何かも、すぐにわかった。 「一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねといのりてしこと」 これも啄木の一句であった。 何で啄木の句と、「ローマ字日記」が死体の傍らに置かれているのか? どう見ても、日立が生前まで本や色紙を眺めていたような痕跡はなかった。 明らかに死体の傍に、第三者がわざわざ置いていった恰好に見える。 ということは… これって、見立て殺人? ミステリも多少は読む玲子は、すぐ短絡にそう推理した。 でも、あながち間違いではないかもしれない。 玲子は警察が来るのが急に待ち遠しくなった。 この推理を第一発見者の証言として、警察に話そう。 目の前の日立の死体に手を合わせながら、くだらぬ功名心に疼く自分が、玲子は少し恥ずかしかったが、そのことを心の中で死んでいる日立に詫びながらも、どうにも好奇心がおさまらなかった。 被害者の無念を晴らす協力がしたいだけだから… 玲子は心の中で、そう自分に奇妙な言い訳をしながら、警察がやって来るのをひたすら待った。
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