12.モーニンググローリー

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 翌日の水曜日も、やはりモーニンググローリーは現れなかった。しかし、木曜日の早朝、ほんの少しだけロール雲が見られたと、他の旅行者がパブレストランで話しているのが聞こえた。  毎食用意をしてくれている鶴野に悪いとのことで、その日は初日以来2回目の来店で夕食を取りに来ていた。 「確かに……この板ちょっと反ってます?」  麻衣が、机の高さまで目線を合わせるとそう言った。 「ああ、少し結露もしているみたいだし。明日は出ると良いな。」  水野はそう返した。麻衣と会話をするのが久しぶりだ。麻衣は、はっと水野を見上げると耳を赤くする。 (クソっ…、可愛いな。)  水野は、想いを伝えたのに触れられないこの状態に、大分ジリジリしていた。 「じゃあ、明日は本気の準備ってことで。今日は早めに寝ましょ。」  鍵谷がそう言うと、その場は解散になった。  その晩、水野が寝ていると、遠くのほうでゴォ、と音が聴こえた気がした。パチリと目を開けると、4時。まだ夜明け前だが、気配がする。  飛び起きてカメ田を叩き起こす。 「んなぁ!?なにっ……」 「来る。多分来るから……!!早くしてください!」  そのまま部屋を出ると、鍵谷と、麻衣の部屋にも声をかけた。10分後には、全員で車に乗り込む。水野が運転で、それ以外のメンツはそれぞれ車内で準備をする。 「おい水野ぉ、ほんとに来るんだろうな。」  カメ田が眠そうにカメラの調整をしている。 「多分…絶対来ます。こっち。」  水野は、先日の帰りに鍵谷と確認した数箇所の撮影候補場所のうち、北東に向かって開けたエリアに車を向けた。  そこにつくと、既に、その巨大なロール雲に乗ろうと狙っているグライダーの面々が集まっている。これは可能性が高い。  車を止めて慌ただしく準備をしている間に、麻衣が声をあげた。 「あーっ!あれ、あれっ!!」  指さした方向には、雲のローラー。いや巨大な壁のような一本の筋が、長さ数キロに渡って伸びている。その怪物が、こちらに向かってゆっくりと進んでくる。 「すっっげぇ……!!」  全員、ひとたび仕事を忘れて、息を飲む。そしてはっとすると、カメ田と鍵谷は撮影を初めた。  悠然と迫りくるモーニンググローリーは、のどかというより威圧的な雰囲気で、近づく地面の赤土と草を巻き上げて、のしりのしりと闊歩してくる。  麻衣は撮影されているのも忘れて、ポカンと空を見上げながら、手を伸ばしていた。 「ほら、これで良いか!?」  水野は麻衣に背中を向けてかがむ。戸惑いながらおんぶされようとする麻衣に、違う、と言うと、思い切り肩車をして立ち上がった。 「わぁっちょっと水野さん!?」 「ちょっとだけ、空が近くなったか?」 「なりません!こんなちょっとじゃ!」 「うるせぇ!」  二人して、爆笑する。  くるくる回りながら真上を通り過ぎるモーニンググローリーに、麻衣はずっと手を伸ばしていた。 「麻衣がいたから、この景色が見れた。麻衣がいつも頑張ってたから、俺もアメリカ行こうと思えた。」  顔を見ていないせいか、素直な言葉が口をついて出て来た。 「信じてもらえないかもしれないけど…いつも見てたよ。…俺と仕事してくれて、ありがとう。」  急に麻衣が頭上でジタバタしている。 「水野さんずるいっ降ろしてっ」  ゆっくりかがんで地面に降ろすと、麻衣はこちらを向き直した。 「そんなこと言うなんてずるいです。人が…どんだけ好きかも知らないで。」 「はははっ、お互い様だな。」  気付けば、モーニンググローリーは、空のかなたに消えていた。 「ちょっとちょっとぉ…撮影中なんですけどぉ…」  カメ田がニヤニヤしながら近付いて来た。横から鍵谷が口を挟む。 「俺の方は良い写真とれたんでなんの問題もないっす。水野さんが画面入っちゃったとしたら、カメさんの腕のせいじゃないっすか?」 「おいっ!」  隣で、鶴野マネと神原も、楽しそうに笑っている。  巨大な雲が通り過ぎた後の荒野は、水を打ったように、静まりかえっている。その中で、我々6人チームの笑い声は高く、響いた。
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