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水野は部屋の中央の机に腰かけると、大きなため息をした。
「あんたさ、全国放送の予報、舐めてるの?ニュース原稿よりも簡単だと思ってる?」
「はい?」
「予報士の仕事知らないのか。」
「えっと、天気予報士さんは…」
「”気象”予報士。」
水野は厳しい口調で言い直すと、麻衣の原稿を机に置き、代わりに机の上に既に置かれていた数枚の紙を取り上げて、ひらひらさせながら言った。
「予報原稿は、俺が書く。確かに気象庁が発表した予報を読み上げるだけなら資格はいらないが、キー局は気象庁の情報に加えて、それぞれ独自の予想を出してる。その予想そのものは、気象予報士がしないと法律違反だ。ある意味他のニュース原稿よりも厳格なんだよ。そのために俺ら気象予報士が、交代でほぼ24時間、この部屋に詰めてる。」
鶴野の"なぎさスタジオ"の名刺を取り出し、麻衣の原稿に重ねて見つめる。
「…あんた資格持ってないだろ?…ズブの素人が書いた原稿なんて、全国放送で読ませられるか。」
…知らなかった。
麻衣はあまりの恥ずかしさとショックと悔しさで、顔が凍りついた。
確かに、お天気キャスターの中でも、名前のところに”気象予報士”と書かれている人と、そうでない人がいることは気付いていた。でも、話す内容にさほど変わりがないのだから、大した資格ではないのだろうと思っていた。
さらに、全国ネットの朝ニュースに出られるということばかりに意識が行って、声の出し方や笑顔の練習ばかりしていた。正直、気象予報の勉強はネット検索以外1ミリもしなかったと言って良い。自分じゃなければ誰が原稿を書くか、なんて気にもしなかった。
なぜ…なぜそんなことも確認しなかったのか。自分自身に腹が立つと同時に、オブラートに包みもせずこき下ろした水野に、恨みが込み上げた。
「ごめんなさい、事務所からの説明不足で…何しろ3日前に決まったので…」
鶴野が間に入って、水野に謝っているのが聞こえる。
(だめ、そんなの言い訳になんかしたくない。この仕事で成功するんだから…!)
麻衣は最後のあがきで、挽回の言葉を絞り出した。
「…私は、お天気お姉さんになったからには…楽しく朝のお天気をお伝えしたいと思って来たんです!!だから、その…楽しい原稿を…」
ムキになって、思ったより大きな声が出ていたようだ。しかも自分が言っていることを反芻すると、あまりに薄っぺらくて情けない。後半は声が裏返ってしまった。自己嫌悪が募って、胃のあたりが重くなる。
「うるせぇなぁ、お前は柴犬か。」
「し、しばっ…!?」
いくらなんでもひどい言いようである。
水野はもう一度麻衣の原稿を見ると、クシャっと丸めて自分のポケットに突っ込んだ。捨てられなかっただけマシだが、要らないなら返して欲しい。が、そんなこと言える雰囲気ではない。
「…初日なんだからくれぐれも本番中に余計なこと言うなよ。俺の原稿を一字一句、間違えずに読め。それが仕事だ。」
そう言って、机に丁寧に並べられた原稿の上に、手に持っていた原稿を積みなおし、トントンと叩いた。
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