第一章 ーRunaway ...Part1

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第一章 ーRunaway ...Part1

[視点:キョウゴ] 前の街を出て、夜行列車に乗って。 たどり着いたのは、セリスキュオレートという街だった。 この世界は地域によって季節が全然違う。その地域の緯度や暦に関係なく季節が勝手に移ろうのだ。ちなみに、季節が暦どおり正常に移ろうのは首都ロンドン。そして今回のセリスキュオレートは現在、夏のようだ。 真夜中にセリスキュオレートに着いた俺は早速宿を探し、その時間帯でもチェックインできるところに泊まった。 そして今……窓の外には朝の景色が見える。俺は簡単に身支度をして部屋を出て、階下につながる階段を下り始めた。 この宿は二階建てで、客室は二階。一階は従業員が住み、厨房や食堂がある。 今は朝食を食べに食堂に向かっているのだ。 俺は階段を下りながら今一度建物の内装を見回す。   ……特に豪華で目を引くものはない。どこにでもありそうな物ばかりだ。でも、心地いい。こういうのをアットホームって言うのかな。 それでいいんだ。俺が宿に求める最低条件だけ満たしていれば、それで。 1. テレビ、新聞がある(見ることは少ないが情報があるに越したことはない) 2. 騒がしくない所または部屋が防音(静かなところで早く寝たい) 3. 最高一週間すごせそうな所(部屋の設備、環境、食事の鮮度などの点で) 4.食事を宿で食べれるなら嬉しい……(もはや条件というより願望) 5. 今にも崩れそう、もしくは崩れるということがない宿(必須条件) ……若干3.4.5の条件がどこかおかしいのは自覚している。でも5は過去に一度だけあった。 俺が入り口にあるカウンターでチェックインをしようとした瞬間にカウンターから後ろの部分が全壊したのだ。 あれの原因は地盤沈下だったか……? とりあえずこれらの条件がそろえば良いから、料金が高い宿には泊まることがない。金に困っているわけじゃないけれど、結局日雇いのバイトをして宿代を払う分を作るからそういう意味での無駄はしないことにしている。 前の街でバイトはしてないから、一応ここら辺でバイトを探さないと。 そんなことを考えていたが、フッと昨夜聞こえた会話を思い出してその方に思考が向けられた。俺は一階のエントランスホールにあるソファに腰掛ける。 どうやらこの宿では客が知らない水面下で面倒なことが起こっているようだ。 ……遺産相続問題、というやつだ。 * [視点:筆者] 簡単な事の発端は、先々週にもともとの宿主が亡くなったことである。 彼は遺書を書いている途中で急死したためにその遺書は使い物にならず、全ての遺産は息子のセオールが受け取ることになっていた。 しかし、その遺書の書きかけの文が問題を引き起こす。 遺書の最後には『私の遺産は、私が経営している宿の従業員』……と、かなり重要な部分で途切れていて、遺産相続人が明確に分からないのだ。 とはいえ、それでも遺書は使い物にならないから遺産は息子に渡されるべきだろう。 それなのに息子であるセオール以外の宿の従業員は彼に全ての遺産が渡されることをあまり良く思わず、批判した。 それは、遺産はセオールに渡されるべきだと分かっていても金に対する欲が収まらなかったからだろう。 金とは人を狂わせてしまうものだから。 そんなこともあり、セオールは何日間も考え込んだ。 彼の生活は決して豊かではない。遺産は彼の今後の生活も左右させるのだから考えるのは当たり前だろう。 彼には歳の割りに宿主の息子としての充分な責任感があった。だからこそ考えてしまう。息子の立場にいる自分が出せる最善の結論とは一体何か、と。 そして彼は悩んだ末、従業員たちに伝えた。 「父の遺産の半分をあなた達で分けてください」 彼は、従業員達の幸せを優先したのだった。 ……これでこの問題は解決かと思われた。 しかし、さらにおかしい事態に発展する。ここで登場するのが宿の支配人の位置に立つ女、パトリシアである。 遺産相続の話が済み、次の宿主を決める際に彼女は言った。 「やっぱり次の宿主は私よね。私がいたから今までこの宿はやってこれたのよ! そうでしょう? もしかしたら遺産だって私のものになるかもしれなかったのに……!」 この言葉を聞いて分かるだろうが、彼女は性格が悪い。美しい顔をしてるというのに台無しだ。 美しいバラにはトゲがある、とはよく言うが、ここまでトゲばかりであれば近づく人も少ないに決まっている。 実際、その言葉を聞いたとき従業員の大半は反論したかったのだろうが、言えなかった。 そんな興奮気味に言った彼女に唯一反論する者がいた。この宿のシェフであるゴルドだ。非常に体格が良い男である。 「何言ってるんだ、お前は全然働いてねぇだろ! 俺は見てたぞ。セオールや親父さんが根気つめて壊れた客室直してる時だって、お前は遊び歩いてた! しかもその部屋壊したのはお前が連れてきた男だったじゃねぇか!」 それに対しパトリシアはゴルドをにらみつける。 「うるさいわね。壊したのは私じゃないわ。そういうことはアイツに言ってちょうだい。言っとくけど私は今宿主の代わりなのよ? クビにするくらい簡単にできるわ」 権力を盾にするとは、まさにこういうことだ。セオールとしてもゴルドをこんなことでクビにするのは許せない。 「やめてください、パトリシアさん! そんな簡単に人をクビにするのは宿主失格です! あなたの決断で人の人生を乱すことになるんですよ!?」 「あなたは分かってないのね。宿主は亡くなったの。だから今のあなたはただの従業員。……ゴルドと一緒にクビにしてもらいたいのかしら?」 「…っ」 つまり、口出しはできないのだ。 セオールは唇を噛んで言葉を噤む他なかった。他の従業員も、セオールの味方ではあるが『クビ』という言葉をかかげられては何も言えない。 それからというもの、宿主となったパトリシアは変わらず遊び歩き、セオールは支配人となって皆を取り仕切ることになり、今に至る。 ……ここまでが、遺産相続問題の背景。 セオールはこの一件でかなり気疲れがあったものの、それを懸命に支えてくれる者がいた。 それは、パトリシアの妹であるカトレアだ。 この宿の従業員であるカトレアは内密であるがセオールの恋人である。 そして彼女は、パトリシアが唯一信頼している人物なのだ。つまり彼女は宿の中でただひとりの中立的立場の人間だということになる。 今はセオールとパトリシアが対立しているような状況のため、彼女もあまり居心地はよくないだろう。 話を戻してセオールとパトリシアについて考えると、セオールは周りからの信頼があるが、権力はない。パトリシアは周りからの信頼はないが権力はある、ということになる。 そしてセオールは遺産の分け方を決めたが、パトリシアはまだそのことに執着しているようだ。 結局のところ、まだ遺産は誰にも渡ってない。 しかし明後日の夜、ついに遺産が手元に来る。両者の対立がこの問題に入りこんだため、一筋縄でいきそうにないだろう。 * そして、キョウゴはとある会話を昨夜聞いた。 その会話は二つあってそれぞれ別の場所で話されたものであり、キョウゴはなにか嫌な予感を察知し、『力』を使って一部を聞かせてもらった。 一つはカトレアとパトリシアの会話。 パトリシアがカトレアに話しかける。 「ねぇカトレア、もう少しで来るのよね?」 「何が?」 「何がって……遺産よ、遺産!」 彼女の声にカトレアの声音は沈んだようだった。 「……お姉ちゃん、またその話? やめた方が良いよ……遺産、遺産って」 「何言ってるのよ。お金はあるだけ良いのよ? それくらいわかるでしょ。ねぇ、もう少しで来るわよね?」 「来る……けど」 「ずいぶん乗り気じゃないのね。カトレアは欲しくないの、お金。良いものたくさん買えるのよ?」 パトリシアはうっとりとした声音でささやくと、カトレアは怒ったように、 「もう、お姉ちゃんやめてよ! ……私はお金なんて欲しくないわ!」 そう言い放って、次にドアがバンッと閉まる音が聞こえた。部屋を出て行ったのだろう。 残された部屋に静寂が戻る。パトリシアは驚いているのか茫然と呟いた。 「……なによ、あの子……」 ……そこで一つ目の会話が途切れた。 もう一つはセオールとゴルドの会話だ。 話題は、やはりこちらも遺産相続の話である。 会話は途中から聞こえた。 「セオール、またこの話で悪いんだが……」 「遺産相続の話?」 「あぁ。カトレアとパトリシア以外の従業員と話して決めたんだが、やっぱり遺産はもらえねぇよ。俺らなんかよりお前のために使うべきだ」 「ゴルド……」 「俺たちはお前がどれほど頑張ってるか知ってる。他のやつらも『あの時は悪かった、どうかしてたんだ』って言ってたぞ」 ……『あの時』とは、セオールの遺産相続を従業員が批判したときのことを指しているのだろう。 セオールはそれを聞いて感慨をこめた声音で 「そうか、みんなが……」 と呟いて一度言葉を切り、優しく明瞭に言った。 「でも、いいんだ。遺産の話はそのまま、みんなと分けよう」 「……セオール!」 「父も、こんなに優しい従業員達には幸せになってほしいと思ってるさ」 「……だからって、やっぱりあいつが一番幸せになってもらいたいのは息子のお前に決まってんだろ。あいつと長年仲が良かった俺にはわかる」 ゴルドの言葉の後に数秒の間。 「……僕はもう幸せだよ」 「お前はそう言うがな、顔に疲れが見えてる。……本当は疲れてんだろ? あいつと同じだ」 「心配してくれてありがとう、ゴルド。でも大丈夫だ。さ、今日は早く寝て明日もお客さんのために頑張らないと。僕はもう行くよ」 イスがきしむ音が聞こえた。セオールが座っていたイスから立ち上がったようだ。 「待て、セオール! ……パトリシアにも、同じ扱いをするのか?」 「うん、もう決めた」 「そうか……。おやすみ」 「おやすみ、ゴルド」 そのあと、ドアがパタンと閉まる音が聞こえた。 その二つの会話を聞いたキョウゴは難しい表情をして押し黙り、ベッドに体を横たえる。 ……もしこんな状況を刑事さんが知っていたら彼はどう動くのかな、と想像して。 目を閉じたキョウゴはそっと固かった表情を和らげた。 「きっと居ても立ってもいられないんだろうな……」 あの人は困ってる人がいればすぐ助けたくなってしまうだろうから。セオールさんが困っているなら、たとえ他人の遺産相続だろうと割り込んでしまいそうだ。 ほんの少しキョウゴの心の奥が暖かくなる。 とりあえず今回はもう少し様子を見よう、そう思って彼は目を閉じたのだった。 *** [視点:キョウゴ] 「あれ? ……あの、お食事の時間ですけど行かないんですか?」 突然、頭上から声が聞こえた。俺はハッとする。 その声の方向を見るとカトレアさんが不思議そうに俺を見ていた。 「気分でも悪いんですか……?」 いけない、長いこと考え込んでしまっていたらしい。 俺は微笑して「いえ、大丈夫です」と、立ち上がる。 カトレアさんは「そうですか」と笑って食堂の方を手でうながした。 「朝食の準備ができてますので、お早めに。シェフがお客様をお待ちしてます」 「すみません、今行きます」 俺が食堂に入るとそこには長いテーブルが縦に三つ並んでいて、すでに食事をとっている客の二人がそれぞれ別のテーブルに座っていた。 「……」 これは……同じテーブルに座らない方が良いのかな……? 旅をしてる人の中には孤独を好む人も居る。 なんとなくそんな気がして俺は誰も座ってないテーブルについた。 *** [視点:筆者] 食事を一番遅く食べ終わったキョウゴが食堂をでるとカトレアがいた。 キョウゴは彼女に話しかける。 「さっきはありがとうございました」 「え? ……あぁ朝食のことですね、どういたしまして!」 「あの……少し聞きたいことがあるんですけど」 「なんでしょう?」 「バイトを探してるんですが……」 そして、アルバイトを探す場所を聞いたのだった。 さすがに大事なことは忘れない。それがキョウゴだ。
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