金魚すくい

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 私には、三つ歳上の兄がいた。  いた、というのは、かつては、という意味だ。兄は私が小学四年生の秋に夭折(ようせつ)した。  十三歳だった。  兄は生まれた時から体が弱く、青白い顔で布団に入っていることが多かった。心臓に先天的な疾患があったと私が知ったのは、彼が亡くなってからだ。  両親はまだ子どもだった私に兄の病気について説明することなく、「体が弱い」としか聞かされていなかった。  私は兄とは正反対の健康優良児だったので、体が弱いというのはつまり風邪をひきやすいとか疲れやすいという意味だと思っていて、他の家の兄のように一緒に走り回ったりケンカの仲裁に入ってくれない兄に対して、口には出さない不満があった。  両親のいろいろな期待を込められたのであろう名前の兄に対して、「健二」という単純な名付けをされたことも不満であった。次男のおまえなど健康でさえあればいいと言われたようなものだ。  私は名前のおかげか大きな怪我や病気をせずに育ったが、健康な体こそ財産だと気づけるのは、大人になってからである。体が弱いというだけで両親に大切にされている兄を妬み羨む心が、幼い私には常にまとわりついていた。  兄にとって最後の夏。  神社の境内で毎年行われる夏祭りの日、兄はいつものように寝室に置いた籐椅子に座り、本を読んでいた。寝込んでいたわけではない。むしろ、調子がよさそうに見えた。ただ数日前からの夏風邪で咳が出るからと、祭りに行く許可は下りなかった。  私はもう十歳になっており、友達と行く約束をしていたから、家族が夏祭りに行くか否かは別段気にしなかった。祭りに行けない兄が可哀想という気持ちはあったが、それも母の言葉でかき消えた。 「あんた、お兄ちゃんに金魚とってきてやんなさい」  金魚すくいをやるなら自分の小遣いを削ることになる。兄のために金魚をすくうくらいなら、その金であんず飴やソースせんべいを買いたかった。  私は抗議したが、 「自分だけ楽しければいいの?」  薄情な弟だと言わんばかりの母の剣幕に押され、もやもやした気持ちで祭りに向かったのだった。 「健二、1回だけでいいよ。1回だけやって、取れなかったらもういいからね。でもできれば、尻尾のきれいな、赤い金魚をとってきてくれたら嬉しいな」  兄は青白い顔で弱々しく笑って言った。  親友の章吉と待ち合わせて祭りに行くと、そこは普段あまり人気(ひとけ)のない神社の境内だとは思えないほど華やかに飾られ、賑わっていた。小さな町の、町内会が主催する夏祭りだ。大した規模ではないけれど、一年に一度の催しに、みんな興奮していた。  浴衣を着た同級の女の子がお兄さんと射的をやっていて、見事に当てたぬいぐるみをもらってはしゃいでいた。章吉が連れてきた二年生の弟は仲間を見つけて走って行った。 「暗くなったら裏の森には行くなよ!」  そう兄貴風を吹かした章吉が少し大人びて見えて、羨ましかった。  私は金魚すくいの屋台を見つけると、真っ先にそちらに向かった。 「なんだよ健二、金魚なんか欲しいのかよ」  からかうように言われたが、兄が欲しがっているのだと言ったら彼は黙ってついてきた。もしかしたら兄の病状は、弟の私よりも近所の人達の方が正しく知っていたのかもしれない。  私は屋台のおじさんに小銭を払い、お椀とポイをもらった。ポイというのは持ち手のついた輪っかに薄い紙を貼った、あの道具のことだ。当時は名前など知らなかったが、障子紙のようなその紙はいかにも脆弱で、なんとなく兄を連想させた。  心得などなかった私は、どうせ取るなら大きいものをと欲を出し、狙った金魚の進路を塞ぐようにポイを水中に入れて待ち構えた。すくおうとした金魚の重みで濡れた薄紙はあっけなく破れ、私は呆然と、穴のあいた輪っかを見つめた。  おじさんは無言で私のポイを回収し、引き換えに小さな紐付きのビニール袋に水を入れ、小さな金魚を一匹すくって入れて寄越した。  おじさんの後ろに、金魚鉢がずらりと並んでいたのを覚えている。取れなかった子どもにも気前よく金魚を一匹やって、親に鉢を買わせる商売だったのだろう。  私は小さな金魚の入った袋の紐を手首にかけ、これで義理は果たしたとばかりに祭りを楽しんだ。あんず飴だと信じていた(あか)い「すもも飴」を食べ、章吉と型抜きを競い、射的の景品にもらったキツネのお面を頭に引っ掛けて歩いた。
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