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家に帰った頃には日が暮れていた。
「ただいまぁ」
門灯が付いていないことにも「おや?」と思ったが、玄関の引き戸を開けても中は暗く、おかえりの声もない。
なんだか不気味に思いながら居間に行くと、母親がしたためた置き手紙がちゃぶ台の真ん中に置いてあった。
兄の具合が悪くなり、車で隣町の病院に連れて行くと書いてあった。私を呼び戻さなかったのは、せっかくの祭りに水を差さないようにという気遣いだったのだろう。
間もなく章吉の母親が私を迎えに来て、両親は付き添いで病院泊になりそうだからと彼の家に泊まらせてもらうことになった。兄が体調を崩して急遽病院に連れて行くようなことは我が家にとっては日常茶飯事で、私は特に悲観していなかった。むしろ、祭りの延長のような気持ちで、楽しい夜を章吉と語り明かした。
翌日は日が高くなってから目覚め、章吉の家の庭で水鉄砲などで一日中遊んだ。夕方に父が迎えに来て、真夏の炎天下に遊びすぎた私は、他人の家で過ごした気疲れもあってか、自宅の畳に横になるとそのまま眠ってしまった。
金魚のことを思い出したのは、翌日の朝だった。
居間のちゃぶ台の下に、キツネのお面が落ちていたのを見つけたのだ。全身の血がサーッと引くのを感じた。
私は草履をつっかけて玄関を飛び出すと、神社に走った。
金魚は、死んでいた。
私は日差しの強い神社の境内で、息を切らしたままその小さな亡骸を見つめた。
金魚の入ったビニール袋は、境内の端に立つ木の節に引っかかっていた。一昨日、私がひっかけたままの場所に。
祭りの日、私はずっと金魚が邪魔だった。水が入ったビニール袋だけに、そのへんに置いておくこともできない。そして射的の前にその袋を、手近な木の裏側にひっかけたのだ。もちろん、帰るときに回収して行くつもりだった。誰かに盗まれないようにと、人目につかない裏側の節にかけたことが裏目に出てしまった。おそらく金魚は誰にも気づかれることなく、ずっとそこにあって。
真夏の炎天下、お碗一杯の水が干上がるのに、一日もかからなかっただろう。
もともと小さかった金魚は、干からびてさらに小さくなり、風に揺れることもなく静かにビニール袋の底にへばりついて死んでいた。
「神域で殺生をすると、小鬼にされるよ」
私は唐突に、その言い伝えを思い出した。
子どもに悪さをさせないためのただの方便だ、そう思って信じてなどいなかったのに。恐怖で頭の先まで鳥肌が立った。
せめて、土に埋めて供養してやればよかったのに、その袋に触れることも恐ろしくて、私は金魚をそこに残したまま一目散に自宅へ逃げ帰った。
私を迎えたのは、兄だった。ちょうど病院から戻ったところだった兄が、玄関で草履を脱いでいたのだ。
兄は私が走って来たのを見ると、
「やあ、ただいま」
と微笑んだ。
草履を脱ぐだけのために上がり框に腰を下ろしていた兄は、片足では体を支えられないほどに弱っていたのだろう。そのことに気づかなかった私は、呑気にただいまなどと言った兄に腹を立てた。
「一人にして悪かったね。どこに行ってたの?」
そう問われたのを無視し、私は草履を脱ぎ捨てて自分の部屋に走り込んだ。すると、父が気を利かせたのか、キツネのお面が文机の上に乗っていて、ギクリとした。
僕のせいじゃない……
私はドキンドキンと激しく拍動する胸を押さえて、心の中で唱えた。
僕が悪いんじゃない……
兄ちゃんが金魚を欲しがったりしなければ、僕は金魚をすくったりしなかった。
兄ちゃんが急に具合が悪くなったりしなければ、すぐに思い出して取りに行けた。
金魚が死んだのは、僕のせいじゃない……
兄ちゃんのせいだ!
私は自分が罪を犯したと認めるのが怖くて、それを全部兄のせいにした。
仏壇に、道端のお地蔵さんに、神社の前を通るたびに、あれは兄ちゃんのせいです、僕が悪いんじゃないんです、と念じた。
そうすることで、罪の意識から逃れようとした。
兄が亡くなったのは、二ヶ月後の秋だった。
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