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食事中に心臓の発作を起こして病院に運ばれた兄は、翌日、家のものではない車で帰ってきた。白い着物を左前に着せられた兄は、私には眠っているようにしか見えなかった。
葬儀の日、私はキツネのお面を、そっと兄の棺に入れた。兄と私の間になんらかの思い出があるのだろうと思ったらしく、両親はそれを咎めなかった。
私はただ、そのお面を、兄があの世に持って行ってくれたらいいと思っていただけだった。兄とあの金魚はあの世で会えるだろう。あの夏祭りの思い出を、全部兄に持って行ってほしかった。
葬儀の席で、親戚や近所の人達は口々に、
「とうとう仏さんになってしまった」
「仏さん、安らかなお顔やねぇ」
と、いつのまにか仏になったらしい兄のことを言い合った。
誰も、考えてもいなかっただろう。
兄が仏ではなく、小鬼になったなんて。
私が次に兄を見たのは、その翌年の夏祭りだった。あまり気乗りしないまま、友達に誘われて行った神社の境内で、不思議な後ろ姿を見かけたのだ。
まず目についたのは、細い背中に背負った大きな水槽だった。その中には赤い金魚が数匹入っていて、尻尾を優雅に揺らして泳ぎ回っている。
今年は金魚すくいではなく、金魚売りが来たのかな、そんな風に思って見ていて、ハッとした。その金魚売りの頭に、二本の青いツノが生えていたからだ。何度まばたきしても、目を凝らしても、そのツノは消えない。周りの誰も気にしていないようだから、そういう形の頭飾りだろうか。そう自分を納得させようとした私は、彼が立っているところが、金魚すくいの屋台の前だと気がついた。
彼はじっと、その屋台を見つめているようだった。
突然、バシャンという大きな音と、悲鳴が聞こえた。
金魚すくいの水槽を覗き込んでいた小さな男の子が、頭の重みで水の中に転落したらしい。バシャバシャと激しい水音がして、その場は騒然となった。
ツノの男は手を貸すでもなくその様子を眺めていて、おもむろに片手を上げた。すると、集まって中腰になっている人たちの向こうから金魚が何匹かすいすいと飛び上がり、彼の背負っている水槽に飛び込んだ。私は自分が見たものが信じられず、かと言って目を離すこともできなかった。
その後も一匹の黒い出目金が、二匹の赤い金魚が、すいすいと背中の水槽に飛び込む。
普通の金魚に、そんな跳躍力があるはずもない。
そして私は気づいた。彼の背負う水槽には水など入っておらず、一度中に入った金魚たちがまた飛び出して、彼の周りの空中を悠々と泳いでいることに。
その金魚たちは彼のツノと同じく色が透けていて、生身の魚ではないことを如実に伝えていた。
(金魚の……魂?)
おそらく今の騒ぎで、屋台の水槽にいた金魚の数匹は死んだのだろう。ツノの男はその魂を集めているのだろうと、子どもながらに私は考えた。
転落した子どもが救出され、騒ぎがおさまると、集まっていた人達が少しずつばらけた。
人々の頭の上を飛ぶ金魚の魂も一段落したらしく、ツノの男がゆっくりと、こちらを振り返った。
ツノの男は、兄だった。
青白い、整った顔。白い着物に包まれた細い体。そして、腰元につけたキツネのお面。それは、間違いなく兄だった。
彼は形容しがたい、もはや人ではない雰囲気を纏っていて、私はピンで押された虫のようにただその場に立ち尽くした。
兄は私に気がついたのだと思う。うっすらと微笑むと、そのまま人ごみの中に消えていった。
(小鬼にされたんだ……)
私の罪を被って、兄は小鬼にされたのだ。
それが罰なのか、罪ほろぼしなのかは分からない。小鬼になった兄は、重い水槽を背負い、金魚の魂を集めている。
後で友達にそれとなく聞いてみたが、その姿を見たのは私だけのようだった。
そして兄は、恐る恐る神社に足を運んだその翌年の夏祭りでも、全く同じ姿で私の前に現れた。
小鬼になった兄は、夏祭りのたびに現れては虚ろな目で金魚の魂を集め、微笑を残して消えてゆくのだ。
恐ろしくなった私は次の年から夏祭りに行かなくなった。
最後に兄を見たのは、高校生の冬。
自分で飼いきれなくなった誰かが夏休み明けから教室に置いていた金魚が死んだ時だった。
祭り以外の場で見る兄の姿は極めて異様で、町にいる限りその影から逃れることはできないのだと、私は戦慄した。
私は高校卒業と同時に、生まれ育った町を出た。小鬼から逃げるために。兄にかぶせた自分の罪から、目を背けるために。
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