9話

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9話

 以前、こんな話を聞いたことがある。いや、話というよりは説教に近いものだったかもしれない。  人間の発明は日々更新されていき、それは自分たち一般市民も恩恵を得られることができている。そしてついには時間を自在に制御する技術も完成してしまった。  しかし、どんな技術もそれを使う人間によっていくらでも悪用ができてしまう。インターネットなんてまさにそうだった。もし対策が十分に立てられていたら、かつての数々のネット犯罪は大きく数を減らしていたかもしれない。だから例え便利な技術でも、社会での利便性を急いでリリースする前にやるべきことは、その技術による犯罪を抑止する態勢を整えることだ。  ――だからタカヤマ、お前が持っているその機械は人々を守るだけのものじゃない。時間を操るなんてとんでもない技術の信頼を守るためだ。 「そう言っていたじゃないですか……ナカオさん」 「……多分、お前の頭では何かしらのモノローグが流れているんだろうけどよ。俺には聞こえていねえからな」  雑居ビルの屋上に足を踏み入れたタカヤマの声掛けに、屋上の中央に立っていた男が小さな水たまりで音を鳴らしながら振り返る。  ナカオを追ってやってきたのはタカヤマのいた時間帯から20年近く前の国内某所であった。夕闇が二人の横顔をひっそりと照らす。 「率直に言います。ナカオさん。あなたがオオツキさんにTMデバイスを渡したんですね?」 「そうか。オオツキさんは捕まったのか。まあ、来るとしたらお前じゃないかと思っていたけどよ。よく追ってこれたな」 「元奥さん……いえ、奥さんの言葉で、こうして辿り着くことができました」 「あいつが?オオツキさんじゃなくて、あいつが何か喋ったのか?」 「取り調べてはしていません。ただ、あの方はオオツキさんを目の前にしたとき、『どうして最近連絡をくれないの』とおっしゃいました。しかしナカオさんたちは最近、離婚調停で顔を合わせているはずです。だから少し奇妙に思い、少し調べました」 「ほお。ほんで、実は俺とオオツキさんが離婚調停には出席しなかったことがわかったのか」  間延びした声。まるで内閣が電撃解散したニュースを居間で見ているような、驚いているようでどこかのんきなナカオである。 「正確な失踪場所までは最近まで調べていませんでしたから。あとは、ナカオさんの自宅から離婚調停が行われるはずだった裁判所の間を徹底的に洗いました。そこまで絞り込めれば、ここを突き止めるのに時間はあまりかかりません」 タカヤマは自分の口の中がカラカラに乾いていくのを感じた。 「俺の予想だと、ナカオさんは以前からオオツキさんと面識があった。経緯はわかりませんが、ナカオさんはオオツキさんにTMデバイスを渡し、この世界からできる限り3時を盗むように指示をした。ナカオさんは初めはそのまま時捜として捜査を続け、機を見計らって身を隠した。おそらく、追跡を混乱させるための時間移動の痕跡を、捜査を多く行うことによって周到に用意してから身を隠したんでしょう」 「あと、オオツキさんの時間干渉の痕跡をできる限り隠したのも俺だよ。オオツキさんにはしばらく娘と孫娘には近づかないように言っておいたし、よくオオツキさんまでたどり着いたな。相当ラッキーなんだな、お前」 「確かに時間干渉の跡を元にヨコヤ夫人を調べても、オオツキさんに捜査の矛先が向くまでは時間がかかるでしょう。俺がオオツキさんに疑いの目を向けることができたのも、完全に運でした」 「オオツキさんもすぐに身を隠す予定だったんだけど、その前にお前に会っちまうとはな。どうも、3時を盗んだ時と違って逃げる踏ん切りがなかなかつかなかったようだな」 「……ナカオさん、よければ話してくれませんか。なぜ、オオツキさんと手を組んで身を隠すまでして3時を盗もうとしたのか」 「まず、真っ先に確保しろって教えなかったか?」 「すぐ近くに後輩を待機させています。逃げることはできません」 「ま、逃げるつもりはないがな……。取調室でもう一度話すんだろうが……お前にならいいだろ」  地面が濡れているにもかかわらずその場に胡坐をかいたナカオを、タカヤマは驚いて凝視する。動機を聞いてみるということは犯人を確保する際に何度かやってみたのだが、そういうのは昔に見たドラマの中だけのことのようで、それらのすべてが空振りに終わっていた。しかし、まさかこの場で夢にまで見たシチュエーションに出会うとは。  タカヤマはいかんいかん、と首を振ってナカオに向き直る。 「まあ改まるほどの話でもないんだけどな。俺とオオツキさんは俺の妻の浮気で初めて顔を合わせたんだが、いい年して女に騙された者同士、妙に馬が合ってなあ」  闇に溶けかけた、何もない空を見上げるナカオ。 「それで互いに色々なことを話すようになった。俺やオオツキさんがどんな風に妻に騙され続けていたのか……オオツキさんの孫娘さんのことも……俺と妻のこれまでのことも……。そこで、俺とオオツキさんのどちらの悩みも3時にあるってことがわかった」 「オオツキさんは孫娘の入院の原因が3時にあり……」 「そして俺は妻にプロポーズをした時間が3時だった。それが分かったとき、この世界からできる限りの3時を奪ってやろうと考えたわけだ」 「そこで時捜として思いとどまることは出来なかったんすか……」 「タカヤマ、お前はまだわからないかもしれないが、俺はもうすぐ50歳の半ば……オオツキさんに至っては齢60になる。もしかしたらお前は時間はまだ残っていると思うかもしれないがな、決してそんなことはない。自分にはあとどれくらいの時間が残っているのか、なんて考える時が来るんだけどよ……そんなことを考える時点で時間はロクに残っていないんだよ」 「……そう、ですね。俺にはまだその感覚はわからないです」  迷いあぐねながら返答するタカヤマに、ナカオは小馬鹿にするように笑う。共に捜査をしている時によく見た、不思議と不快にならない笑いだった。 「ま、そういうことでオオツキさんと計画を練った。俺がこっそりTMデバイスを保管庫から盗み出し、オオツキさんに渡して足が付かないよう場所を選んで実行してもらった。身支度を整えたら二人とも遠くの時間に逃げるつもりだったが、上手くいかないな。時間犯罪はさんざん見てきたはずなのに、いざ自分がやるとなったら詰めが甘くなっちまう。……でもなタカヤマ。俺たちはもっと大きなミスを犯したのさ」 「大きなミス、ですか?」 「なあタカヤマ。俺たちは世界から3時をというものを消した。その結果、3時に起きたことは過去も含めてすべて消え、歴史も大きく変わっちまった……。なのによ、3時を消した後も俺と妻は結婚したままだし、オオツキさんの孫娘はまだ入院中だ」  そう。つまり、3時を消してもこれまでの別の時間の中でナカオは妻にプロポーズを行い、オオツキの孫娘は虫歯になり入院してしまう。二人が変えたいと思った出来事は原因と思われる時間帯を消し去っても、歴史のどこかで補填されてしまうのだ。望んだような現状は訪れない。おそらく、オオツキが逮捕されずに3時を消し続けたのだとしても。 「オオツキさんも察しただろうさ。時間を消しても現実は変わらない、ってな。だから彼は逃げなかったんだろうし、そうなると俺もここまでだな」  ナカオはタカヤマを見上げ、両腕を前習えのように突き出す。 「後輩に縄を付けさせるなんて不本意だが、もう俺は時捜であるつもりはねえ。今となってはただの凶悪犯だ。……やってくれ」  タカヤマは目を閉じる。なぜか仕事終わりにナカオから煙草をもらった記憶が瞼の裏の暗闇に浮かび上がる。なぜ今になってこんなものを思い出すのか、タカヤマ自身にもわからなかった。  そして、タカヤマはスーツの内ポケットから強化プラスチック製の手錠をゆっくり取り出す。 「ナカオさん。あなたは間違いなく凶悪犯罪者だ。勇敢な時捜一人が犠牲になっている以上、その罪は軽いものではありません。ですが……それでもあなたは俺を時捜として育てたのも間違いない。本当に感謝しています」 「……早く連れて行ってくれ。今更だが水たまりで濡れたズボンが気持ち悪いんだ」 「では、行きましょう」  立ち上がったナカオの両手に、カシャッと軽い音と共に手錠がかかる。結局ナカオにとっては何から何まで思うようにいかなかった。にも関わらず、自らの手にかかる手錠を見つめた彼は全てを諦めたような、それでいてどこか満足しているような横顔を見せるのだった。
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