第10話

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第10話

 私にはペナルティが課せられることになった。罰金とお説教のどっちを選ぶ? と言ったのはソーマだった。 「当欠はまずいって。他の使えねえ女ならどーでもいいけどさ。みさきにはがっつり予約が入ってんだよ。客はワクワクしながら待合に並んでお前を待ってるんだよ。店長おかんむり。さあ、罰金とお説教どっち? 店長、はっきり言って嫉妬の炎でめらめらに燃え上がってるぜ。みさきに妙な男ができたんじゃねえかって、近寄るのも恐ろしいぐらいに機嫌が悪い悪い」  私は一も二もなく罰金を選んだ。金額は十万円。私なら二日も出勤すれば稼げる額だ。これは、警告なのだろう。  同じことをもう一度すれば、きっと金額は倍になる。そうやって店長は自分の強権を知らしめる。私があの部屋での一夜を恐れていることを知っている。あれを繰り返すことを考えたら、十万円なんてそう高い金額じゃない。 「……大体が、どーしたんだよあのパイパン。妙な男に捕まっちまったんじゃねえだろーな。そりゃ客はむっちゃくちゃに喜ぶだろーけど、なんかやってることがお前らしくねえぞ。困ってるなら言え。店も俺も、全面的にお前の味方なんだから」  ソーマはいかにも常識人の顔をしてそう言った。私は目をそらしてできる限りの反論をする。 「いいの。違うの。好きでやってるだけ。なんにも困ってない。お金は払う。私は私なりにちゃんと考えてる。だから、心配しないで」 「ばか言うな。お前なんかたった二十一の小娘だ。ケツの青いクソガキなんだよ。お前が自分の頭で判断したことなんか、九割間違いで一割は勘違いだ。大人を頼れ。俺たちはみんなお前の味方で、お前のことを大切に思ってるんだからよ」  大切に思っているとはよく言ったものだ。私が口を使ってローションにまみれてあの男たちの食い扶持は生まれている。  あれは三年前。ソーマは『個人的な講習』だと言って私を抱いた。この世界にうぶな十八の私をだまくらかして搾取した。子供の無知を嘘でくるんで飲み込んだ。それで『大人を頼れ』? 頼ったとたんにピストルみたいなバイブと何本もの電マで私が壊れるまでいじり倒すくせに。恐ろしい器具と拘束に泣く私をビデオで撮ってそれを見せながらまた犯すくせに。  十万円は即金で払った。「給料から天引きにもできるよ」とソーマは言ったけれど、その日うちにお金を取りに帰ってフロントに叩きつけた。『頼る』だなんて重要な単語を簡単に口にするソーマを心底恨んだ。私は誰も頼らない。  今までだってそうして生きてきた。  これからだってそうやって、私は生きていく。  それから私は何事もなかった顔をして日々を過ごした。パチンコ屋に行って、仕事に行った。となりにはいつも、雅がいた。  雅は私を支配した。相変わらず雑種犬のようにまとわりついて私を笑わせながら、夜には悪魔のようになった。天真爛漫な笑顔が朝には私を起こして、夜には私を暗い穴の中に突き落とした。  それと関係があるのかどうかわからないけれど、孝太郎がなぜか私に優しくなったのには少し驚いた。雅の目の届かないところで私に気遣うような視線を投げてくる。実際にぼそっとつぶやいてくることもあった。 「大丈夫? きついんじゃない……?」  私は「なにが?」ととぼけて見せた。中学からの付き合いだという孝太郎にはわかっているのだろうか。  雅の二面性。雅の本性は、私より孝太郎の方が知っているのかもしれない。  唯は私に話しかけてくることがなくなった。唯の気持ちを考えれば、私から話しかけていくことも残酷な気がする。私は仕事帰りに使うコンビニを変えた。これで唯とは、ただの店員と客の関係に戻ってしまった。  代わりというわけではないだろうけど、唯と孝太郎が話している姿をちょくちょく見かけるようになった。唯はあの茶目っ気たっぷりの笑顔で孝太郎に絡んでいって、孝太郎もまんざらでもない様子で頬をゆるめていた。  ほかに変わったことと言えば、あの妙な客が常連になったことだろうか。  私が無断欠勤した月曜日に予約を入れていたのだと、恨めしげに言ったのはその翌日のことだった。男は、『京介』と自分の名を明かした。  恨み言の次に京介は「俺と付き合えよ。幸せにするから」と言った。私は、一拍おいてから吹き出してしまった。 「なんで笑うんだよ」  京介は憮然とした顔で言う。そのよれたネクタイをゆるめながら、私はほんの少しみさきでなくなった自分の意見を漏らしてしまった。 「だって私、風俗嬢よ? 普通の恋愛なんてできるわけがないじゃない。大体あなたは指輪をしてる。私、人のものを盗ったりは、できないから」  少し黙ってから、「やっぱり君はいいな」と言って京介は私を脱がしにかかった。紐パンを外してつるつるになった局部を見たときには言葉を失っていた。その面食らったような表情に、私はまた笑ってしまった。  笑う私を抱き上げて、子供にするようにひざに抱えて京介は強く抱きしめてきた。 「苦しい」と言ってもその手は解かれなかった。だいぶ長い間そうしてから、私の頭をなでながら耳元でささやいた。 「……君はいちいち痛々しいな。なんか大事なものが欠けてるな。どこに落としてきた。お母ちゃんのお腹の中か。それとも生まれてきてから誰かに奪われたのか」  私の鼻が瞬間的につんと痛くなった。京介は人の心に土足で踏み込むタイプの人間なのか。客に泣かされるわけにはいかないから、もがくようにしてその腕から逃れた。みさきの仮面をつけて、外したネクタイをシャツから抜き取りながら無精ひげの頬にくちづけた。 「何言ってるのかよくわかんない。ひげ、ちくちくするね。剃っちゃえば? つるつるなほうが、絶対気持ちいいよ」  京介は来るたびに私の過去を聞こうとしたけれど、私ははぐらかした。あまりにしつこいからそのたびに口がきけない状態にしてやった。風俗嬢の過去など聞いて、優越感にでも浸ろうとしているのだろうか。それなら蔑まれたほうがよっぽどいい。  過去なんかそこにはないから私はスロットを打っている。  あの箱が映し出す刺激的な液晶演出と、コインの波がもたらす果てしない多幸感。  雷に撃たれた私は何者でもなくなる。盲目的な興奮に埋め尽くされる。最近はそれに加えて雅という支配者までもが現れて、私を苦痛と快楽で掌握する。  私はもう何も思い出さなくていい安心感に全身を弛緩させ、今夜もすべてを投げ出して雅の腕の中で死んだように眠る。
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