第13話

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第13話

 悪い夢は『歌舞伎町の女王』で簡単に醒めた。電話の向こうでソーマが『迎え着いたってよー』と言うから、私は「五分待って。すぐ降りるから」と返事をした。  泣きながら寝ていたからメイクが落ちていた。簡単に直してシェーバーで下の毛を剃る。さあ、仕事に行こう。  死ぬタイミングは前にもあった。でも身体を売り生きていく道を選んだ。あそこにいる間、私はナンバーワンヘルス嬢『みさき』になる。  『売野愛』なんておかしな名前じゃない。あそこで私は『みさき』になって、私を求める人たちに愛を売る天使に変身する。  いつもの個室に今日は私からソーマを呼んだ。ソーマは私の泣いて腫れた顔に驚いていたから、「どしたよ。やっぱ何かあった?」と言いながらあわてた様子で現れた。私はベッドに座ったまま、出来るだけ感情を表に出さないよう、静かに要求を伝えた。 「出禁、ってできる? 相手したくない客がいるの。排除して欲しいんだけど、どう?」 「……出禁? いやまあそれは、できるけど。『いらっしゃいませ』したら知り合いでした、みたいなことはよくあるからさ。まあ指名拒否って感じかな。にしてもみさきがそんなこと言い出すなんてめずらしいな。どいつ? なに、知り合い?」 「ううん。知り合いってわけじゃないんだけど。ほら、平日に来るスーツのくしゃくしゃ頭。あの人嫌なの。指名拒否にして」 「ああー……、あの人。ああ、あの人ねえ……」  とたんに、いぶかしむようにして黙りこむソーマ。腕を組んでたっぷり三十秒はそうして固まってから、ふん、と鼻を鳴らすと突き放すように言った。 「なんでだよ。あの人いい人じゃん。男前だし紳士的だしさ。じじいは嫌だとかブサイクは回すなとかガタガタ言うやつらからしたら、あんないい客争奪戦してでもほしい上客だぜ。毎週毎週律儀に通ってくれるみさきのファンだろ? 出禁なんて言わずに相手してやれ」 「えっ……。指名拒否できるって言ったじゃん。私、あの人嫌なの。昼間パチンコ屋まで来たのよ? 私のまわりを嗅ぎまわっていろいろ調べてるらしいの。だからもうあの人が来ても私にはつけないで……」 「無理だな。それは無理」  ソーマは投げやりにそう言うと、両手を肩まで上げて『お手上げ』のポーズをした。そのまま部屋から出ていこうとするから、私は後ろからその肩にすがって懇願に近い主張を繰り返す。 「嫌ったら嫌なの。ねえなんとかしてよ。私の味方だって言ったじゃない。困ったことがあったら言えって、だから私こうして頼ってるのに!」 「……あの人はだめだ。どうしても、ってんなら店長に直接言え。まあ多分店長もおんなじ返事だろうけどな。とにかくあの人はだめだ。あの人は、だめ」  ソーマはそのまま振り返りもせずに行ってしまう。いつもの個室に取り残された私は、理解不能の大きなものに巻かれる恐怖に足元から崩れ落ちてしまう。  結局その夜は雅と連絡がつかなかった。何度鳴らしても雅は電話に出なかった。私は翌朝早起きをするととなりの喫茶店へとひとりで足を運んだ。そこで私の従者は、ゆで卵片手に待っているかもしれない。  でもそこにも雅の姿はなかった。だからいつも通りのモーニングセットを頼んでひとりで食べた。そこに流れる低いクラシック音楽がやけに耳に障って、私は自分がひどく混乱しているのだと認めざるを得なかった。  マンションの部屋に帰って横になった。新しくした羽根まくらは中身が多すぎるのかパンパンで寝にくい。もう少し羽根が抜けたらちょうどいい感じになるのにな、と思いながら目をつぶるとあっという間に眠りに落ちてしまった。  もう一度目が覚めたらお昼だった。ケータイを開くと誰からも着信はなかった。ひとりというのはこんなに静かなものだったのだろうか。私は昨日のソーマの様子を思い出していた。それがあまりにも不可解で、思い出さずにはいられなかったのだ。  そもそもこの業界で安全に稼ごうと思ったら、多少の理不尽は飲みこんで店側に守られるのが得策だ。私たち『女の子』は商品。店側はできる限り商品を守る。  私は比較的客単価の安いマットヘルスで働いているけれど、それでも月収は百万を超えている。店とは売り上げをほぼ折半にしているから、私個人に毎月客は二百万を出しているということになる。  それらをすべて手にしたいという欲が出る者もいるだろう。けれど店との折半を嫌がって個人で客をとれば、すぐにやくざに目を付けられる。テレクラや伝言ダイヤルはすっかり下火になってしまったけれど、最近はネット上の無料掲示板を使って客を引くらしい。けれどそこは誰でも書きこめる場だから、商売として売春をしている者は必ずやくざに見つかってしまう。  ショバ荒らしはやくざにとってつけやすい因縁の口実のひとつだ。因縁に口実が必要というのもおかしな話だけれど、他の組の手前、一応の口実というのは必要であるらしい。  この狭い街にはいくつかの組がひしめき合っていて、常に小競り合いを繰り返しているのだと言ったのは店長だった。あこぎな組は傘下の違法風俗店の女の子に過重労働を強いてしのぎを得ようとする。中には女の子にかなり危ない行為をさせる店もあるのだそうだ。そういう店ではどんな行為が行われているか、店長は寝物語に私に聞かせたことがあった。そんな目に遭わないだけありがたく思え、感謝しろ、という意味らしい。  店長の話は大げさではなく、若い女性の変死体があがったなどというニュースを聞くと職業は大概が夜の住人だったりする。ホステスか風俗嬢か温泉街のチョンの間の売春婦。要はそういうあこぎな搾取の被害者ということなのだろう。中にはあがらないままになっている死体もあるだろうから、起こっている事件の絶対数は明らかになっているものの比ではないに違いない。  だから守られておくに越したことはないのだ。私たちは商品。店舗型ヘルスは私たちを客に貸し出すレンタル店。次の客に貸し出すために、店は女の子を大切に扱う。そして私は、常に貸し出し中の人気商品。  それなのに、ソーマは私を守ろうとしなかった。京介が私に害なす相手だと訴えたのに。排除してくれと頼んだのに。  一体あの男はどれだけの存在なのだろう。考えながら、私はリモコンを手にするとテレビの電源を点けた。音量は最小。ほとんど何も聞こえないテレビが悲しくて、耳が嫌になるまでどんどん音量を上げた。  芸能人が横に並んでクイズに答える番組だった。前半はゲストを呼んで司会者がその話を聞く。  俳優だったり歌手だったりお笑い芸人だったり。その番組に呼ばれることは芸能界のステータスになっているらしい。その有名人の語る話聞きたさに、昼になるとこの番組にチャンネルを合わせる人は多くいるのだという。  知らない誰かの『ファン』になってその人間の過去を知りたいと望む。 けれど、そのゲストのことを本当の意味で知っている人は、この世界に一体何人いるというのだろうか。
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