第11話

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第11話

 気付けばカレンダーはもう十二月半ばになっていた。街はそこかしこがクリスマスの飾りつけであふれ、それはパチンコ屋も同じだった。カウンターに立つ唯の頭にはサンタクロースの赤い帽子がのっていた。そんな唯と孝太郎が立ち話をする様子も、以前より多く見られるようになっていた。 「孝太郎、あの子のこと好きなの? 最近仲いいね。あの子、ちゃんと元気になったのかな……」  昼に併設の食堂で食事をしながら、私は孝太郎にそう訊いてみた。雅に電話がかかってきて外に出たタイミングだった。今日もジャージではなく黒いハイネックのニットにジーンズといういで立ちの孝太郎は、めずらしく照れたような表情になって頬をかいた。 「まあ、好きというかなんと言うか。いい子だよな明るくて。ちゃんと元気になったって何? なんか元気がなくなるようなこと、あったの?」  ああそうかと私は納得した。孝太郎は唯の失恋を知るはずがないのだ。いらないことを言ってしまった。「ごめんごめん」と謝って、話題を変えることにする。 「何でもないの。私も別に彼女のこと大して知ってるわけじゃないし。それより孝太郎と雅って職場も近いの? 板前さんしてるって聞いたけど。店どこ? 私でも行けるような店?」  私と孝太郎は、ここに来ているときはほぼ毎日顔を合わせたし昼食を共にすることも多かったけれど、個人的に話したことはほとんどなかった。いつも私たちの間には雅がいたし、パチンコ屋以外で顔を合わせたのもあのもつ鍋屋が一度きり。孝太郎と話してみたいと思ってはいたけれど機会がなかったのだ。  孝太郎は、ケータイ片手にあわてて雅が出て行った扉の方を振り返ってから、私に向き直る。小さく咳払いをして息を吐いてから、何でもないことのように簡単な調子で言った。 「……そう。板前。て言っても炉端焼き屋で値段の安い大衆的な店だよ。そうじゃなきゃ昼間っからスロットなんか打ってられない。まあ市場も回るから朝は早いし仕込みの当番もあるけど、高級店なんかは拘束時間も長いから」 「へえ……そうなんだ。で、どこ? 一回行ってみたい。雅の職場が近いなら、連れてってもらうこともできるかな」 「うん……いや、あのさ、愛、ちゃん」  孝太郎がこの時初めて私の名前を呼んだ。とても言いにくそうに。気まずげな顔をして、その目は私を見ようとしない。 「雅の店とはブロックが違うんだ。雅のところは一丁目、俺の店は三丁目。結構離れてる。俺の店はふらっとひとりで来ればいい。でも、雅と一緒はやめたほうがいいよ。はっきり言って、目立つから」 「目立つ? 何が? 雅がデカいから目立つってこと? そりゃ確かに、どこにいてもすぐにわかるぐらい雅は目立つけど」 「違う。そういう意味じゃなくて。雅は有名なんだ。なんにも言うつもりはなかったけど、なんか見てられないんだよな。君、無理してるだろ」 「む、無理……?」  私には意味がわからなかった。訊き返す私を、孝太郎は切れ長の目の奥に冷たい色をたたえて憐れむように見た。 「いい人間なんだよな、きっと。なんか間違っちまっただけだ。間違いなんて言い方は良くないけど実際そうだ。もっと早くに気付けば良かったんだけど、ほら、俺も結局はおんなじクズだから」 「『クズ』? 孝太郎が? ……気付くってなにに? 私も、『クズ』だってこと……?」 「君はクズなんかじゃない。なんかじゃないから、困ってるんだ」  憐れみの色を消さずに、孝太郎は微笑んだ。複雑な表情だった。私は、なんと返事をしていいのかわからなかった。  ふと、最近誰かにそんなことを言われたような気がして思い出してみようとする。私はなんだか痛々しくて……大事なものが欠けていて……あれを言ったのは、誰だったんだろうか。 「あーラーメン伸びてるっ! やだもー麺が最初より増えてるじゃん! まずそー俺伸びたラーメンって本気で憎んでるんだよねっ。いい! もー食わない!」  突然降って湧いたように、私たちの沈黙の間にいつもの喧騒が割りこんできた。見上げるとそこにいるのは、口をとがらせて子供のように騒ぎ立てる雅。 「休憩時間終わっちゃうよ! こーちゃん闘魂チャンスはりきって消化してよね! 俺も負け取り戻さなきゃまた家賃が危なくなっちゃう! はい愛ちゃん、行くよっ」  はいはい、と言いながら孝太郎が食器の載ったお盆を手に立ち上がる。雅は私の食器も片付けてくれながら、その無邪気な犬みたいな笑顔を耳元に寄せて、こうささやいた。 「うわきのそうだん? だめだよ、よそ見は。大変なことになる。そんなの、もうわかってるよね?」 「……う、うん……」 「よしよし良い子。今夜はちょっとお仕置きが必要かな。眠れるなんて、思わないでよね」  雅は商売道具である私の身体を傷つけるようなことはしなかった。私は商品で、全裸を客に提供するのが仕事。傷がつけばすぐ人の目に触れる。だから雅はわからない方法で、私を快楽と苦痛の縁に追いこんだ。  雅のものは『サイズ』が一般的なものの倍はあった。だから下から入れられるだけで刺激が違ったし、口に入れられれば呼吸も難しかった。しかも遅漏でいつまでも続けられた。その上、ひどく加虐的なセックスを好んだ。  にこにこ笑いながら私の口いっぱいにペニスをつっこんでからぎゅっと鼻をつまむ。呼吸器をふさがれる。苦しくても少しでも歯が当たるとちぎれるほどに髪の毛を引っ張られた。のどまで潰され呼吸ができない私はじたばたと暴れるしかない。  強い力に動きは封じられ少しずつ意識が遠くなる。もしこれで死んだらひどい死に様だと思うと、私は可笑しくてたまらなくなってそのたびに身体が痙攣した。  ペニスで窒息して死亡。私にぴったりの死に方じゃないか。復讐。それも悪くないのかもしれない。噛みちぎればいくらでも逃げられるけどそんな気にはならない。だって目の前にかすむ雅はにこにこにこにこと笑っているのだから。  目の前が真っ暗になる前に雅は私を解放する。そのまま咳き込む私を後ろから何度も激しく突き上げるのだ。 「酸素を求めて喘ぎ苦しむ愛の中は最高に気持ちいいんだよ」と雅は言った。あの湯舟で溺れたのは過失じゃなかった。息が止まれば身体が芯から生きようとしてペニスを絞り上げるのだという。確かに上の口が開けば開くほど下の口はぎゅうぎゅうと締まるような気がする。咳き込むたびに太いペニスに自分のひだが絡むのがわかる。  そうなるともう私は生きているのか死んでいるのかわからなくなる。わからないほどに気持ち良くてイキ狂う私を雅はいつまでも放さない。後ろから髪をつかんで引っ張って、喉を勢いよく圧迫して、痛みと苦しみと快感に支配されて私は人間としての思考を奪われる。雅が私の、王になる。  無価値な人間だと思っていた。  使いやすくそれなりに見栄えがする性処理道具。それが私だった。それ以上の価値など自分にはないと思っていた。でも知った。私にはちゃんと価値があったのだ。  雅が見出してくれた。私を『所有』してくれた。私は持ち主を得て価値を持つ。雅と共にいる間、私は無価値じゃない。私は求められている。 「愛は、誰のもの?」  イク前には毎回そう訊く。ああやっと終わるのかという安堵と、もう終わってしまうのかという絶望の狭間で私は答える。今日も私は生きていたのだと、真っ暗な穴の上に浮かぶ下弦の月を見上げて。  「みやびっ。みやび、みやびみやびみやび――……!」  翌朝は世界一高貴な姫のように私を扱った。上から下まで綺麗に洗ってドライヤーをかけ服を着させる。私は幸せだなと思いながらこの無邪気な顔をした従者を見つめる。従者はゆで卵を上手に剥く。ちょうどいい具合に塩をふられ、ゆで卵は私の口元にまで運ばれる。  そうやって続いていくだろう日常に私は満足していた。相変わらず返済しなければいけない借金は山のようにあったし、雅は私に自宅の場所を教えようとはしなかった。けれどそんなことはもうどうでも良かった。たまに財布の一万円札が計算より少なく感じることもあったけれど気のせいだと思った。ギャンブルの高揚と死の間際の快楽と所有される安心感。それだけで私の五感はいっぱいだった。  だから、放っておいてくれれば良かったのに。私はちっとも不幸じゃない。知らん顔して、『みさき』の私だけで満足しておいてくれれば良かったのに。  京介はどんどん私に食いこんできた。とうとう店だけでなく私の昼の居場所であるパチンコ屋に京介が現れたのは、クリスマスイブの前の日のことだった。
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