第2話

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第2話

 換金してみると、角刈り男の十箱のコインは二十二万六千円にもなった。ナンパ男とともにうしろからその分厚い諭吉の束を覗きこんで、私たちは顔を見合わせた。 「さっすがこーちゃん、とんでもない引きを見せるねえ! 俺たちお腹減っちゃったよ! メシ食いに行こっ。もっちろん、こーちゃんのオゴリで!」  角刈り男の背中に抱きつきながら、ナンパ男は陽気にそんなことを言う。角刈り男は迷惑そうな顔になったけど、ちらりと私の方に視線を投げてから白々しいような調子でその提案にのった。 「……うんまあ、いいよ。俺明日早番だからそこそこで帰るけど。そのへん、うまくやってくれるんならね」  なにが『そのへん』を『うまく』やるのかは分からなかったけれど、私はふたりの男とともにもつ鍋屋へと向かった。今日私が七万円を失ったパチンコ屋から、歩いて五分もかからない。私の家からも五分程度の距離。ナンパ男は車で来ていたらしく、「車で行こーよ」と誘われたけれど、断った。今日初めて口をきいた男ふたり連れの車に乗り込むほど、私はばかじゃない。  もつ鍋屋につくと、混雑する店内の座敷で私たちは自己紹介をした。ナンパ男は『五十嵐雅(いがらしみやび)』、角刈り男は『茅場孝太郎(かやばこうたろう)』と名乗った。 「みやび? いがらしみやび? それ本名? なんかめっちゃ、源氏名っぽいんだけど」  店内に流れるのは有線のあゆ。目の前には三つのビールジョッキが並んでいる。車で来ているはずのナンパ男こと五十嵐雅は、氷のついたジョッキを右手にすると慣れた調子で肩をすくめる。 「本名本名。かやばこうたろう、もね。君の名前を聞く前にカンパイしよ。こーちゃんの万枚に祝意を表して!」  ごつん、とぶつかるビールジョッキ。三人前のモツ鍋と鶏手羽とシーザーサラダが目の前に並ぶ。私は空腹に任せて、一気に半分以上のビールを喉に流しこんでしまった。今は冬だけど、きんきんのビールはやっぱり美味しい。 「いー飲みっぷりだね! で? 姫の名前はなんていうの? 今日のスポンサーにちゃんと自己紹介してよ。はい、お名前は?」  モツ鍋のおたまをマイク代わりにして、五十嵐雅が私にインタビューする。人懐こい笑顔。五十嵐雅はとても背が高い。長めの茶髪とだらしないジャージ。雑種犬という言葉がぴったりの外見をしている。 「えーと、私は(あい)。あい。いいよね万枚とか。やっぱ『道』演出から? 投資、いくら?」  となりの茅場孝太郎は、角刈りと言うよりスポーツ刈りに近い髪型だった。切れ長の目が印象的。五十嵐雅が板前だと言っていたけれど、納得の風貌をしている。でも服装は、小ぎれいなジャケットとチノパンという洒落た格好だった。五十嵐雅のジャージとはずいぶん対照的でちぐはぐなふたり組。  私の質問に、五十嵐雅がにこにこしながらおたまを茅場孝太郎へと向ける。茅場孝太郎は少しだけ頬をゆるませると、でもやっぱり気乗りしないような口調で口を開いた。 「……打ち始めたのは、十二時前ぐらいかな。昨日のハマり台だったんだよ。なんでか千回も回ってなくて。二千円も入れなかった。『道』きて、そっから爆裂」 「へえ……そうなんだ。私まだ『道』見たことないんだよね。まああんまり猪木は打たないんだけど。二千円か……いいなあ」 「ほーんと、うらやましいよね! でもまあおかげさまで俺たちはこうやって鍋を囲んで親睦を深めることもできるわけで! ……で、愛ちゃんは苗字はなんていうの? そこは明かしてくんないの? 俺たちはフルネーム、明かしたのにさ」  マイクにしていたおたまでだいぶ火が入ったもつ鍋をかき混ぜて、五十嵐雅は私の前のとんすいにそれをよそいながら言った。五十嵐雅は鍋奉行か。奉行に訊かれてしまっては仕方ないから、私は気に入っているとは言いがたい自分の本名を明かすことにする。 「……『売野』。うりのっていうの。売買の売りに野原の野。だから私のフルネームは、『売野愛』……」 「う、売野愛……?」  ふたりの男が同時に声をあげる。もう聞き飽きたこの反応。だから私は苗字を言わない。愛、だけならよくある名前だから。 「あ、愛ちゃん、いいねその名前。なんか詩的だよ。『愛売る女』か。ボルレーヌだかフェルメーロだか、そんな詩人が詠んでそう!」 「親も親だよな。なんで売野に『愛』をひっつけるんだ。売春のニオイがするじゃん。他に良子でも和子でもなんでもあったろうに……!」  とんすいにもつをよそっていく五十嵐雅の横で、その時初めて茅場孝太郎がはっきりと表情を崩した。『良子』『和子』。例えが可笑しくて私も笑ってしまう。 「どうしても『愛』が良かったんだって。まあ女は結婚すれば苗字が変わるからって。結婚なんかしないかもしれないのにね。おいしそ。いただきます」  ふうふう言いながら口にしたもつ鍋は、適度な脂分をもっていてそれが胃にしみた。そんな私を見て五十嵐雅はにっ、と口元をゆるめる。 「はい、どんどん召し上がってね。愛ちゃんがなに売ってても別に俺らは驚かないよ。こーちゃんはビールお代わり? 店員さーん、生中いっちょー!」  もつ鍋にシメの中華麺を入れる頃には、私たちはだいぶ打ちとけていた。ビールに浮いた心が、私から用心深さを取り去ってしまう。いつの間にか雅は私のとなりの席に移動してきていて、チャックのないトートから悪びれもせずケータイを抜き取って言った。 「うわ、愛ちゃんケータイP2102Vじゃん。FOMAの最新機種。いーな。これってビデオカメラにもなるんでしょ?」 「いやまあそうだけど。型番までするっと出る? ちょ、ちょっとやだ、勝手に触んないでよ!」  私のケータイを手にして、雅は孝太郎のとなりに戻る。孝太郎の耳元に何かをさっとささやいて、素早く私のケータイを操作した。それからあの人畜無害な笑顔になって、鍋ごしにそれを返してくる。 「登録したから連絡先。こーちゃん明日早いんだよね? ラーメン食べたらもう帰りなよ。タクシー呼ぼっか。勝ったし、三台ぐらい呼んで大名行列しながら帰っちゃえ。愛ちゃんは俺ともーちょっと飲もうね」  そのまま自分のケータイからタクシーを呼ぶ雅。となりの孝太郎はなにか言いたげな表情で私を見ている。なに? と私も表情で訊き返すけれど、その目は伏せられてしまうから会話は成り立たない。 「すぐ来るってさ。あ、愛ちゃんビールないじゃん。お代わりしとく? 店員さーん! すいませーん!」  すぐにビールはやってきてラーメンも出来上がる。雅が「おいしいね麺入れた俺って天才なんじゃない?」と騒ぐ横で孝太郎はラーメンを一気にすすりこむと立ち上がった。 「じゃ、俺帰るわ。明日早いし。タクシー来ただろうし」 「あーそだねっ。こーちゃんゴチになりました! 愛ちゃん待ってて。俺そこまで送ってくるから」  私の方をちらりと一瞥する孝太郎。ごちそうさまの言葉も待たずに、あっという間に座敷をおりてレジの横を抜ける。  その背中について行きながら、雅がこちらを振り返った。すぐもどるからね、とその口は動いている。ふたりが引き戸の向こうに消えていくのを見ながら私はビールを口に含む。……少し、酔ってきた気がする。  ひとりになった座敷席は、やけに広い。大きめのBGMが耳に障る。  私は、耳が弱い。それは聴力が弱いという意味ではなく、大きな音に対する不快感が人より強いということだ。  工事現場の横を通りかかった時に聞かされる金属音や、救急車のサイレンはもちろんのこと、テレビやラジオなどの予測のつかない音声がとても不快に聞こえる。急に叫びだすお笑い芸人や、観客の大きな笑い声や、あおるようなドキュメントのナレーションが苦痛で苦痛で仕方ない。  音楽もそうだ。こういうふうに聴きなれない音楽に、しかも大きな音でさらされるのは落ち着かない。なのにパチンコ屋のあの喧騒は気にならないのだから、自分でも自分という人間の仕組みがよくわかっていないのだけれど。 もしこの場に雅が帰ってこなかったら、どうなるんだろう。不快感が呼び水になったのか、ふいにそんな考えが浮かぶ。  もしかしたら雅と孝太郎は私を騙してタダ飯をタカったのではないだろうか。そんなばかな、とは思いつつ、ありえない話でもない気がする。現に私はこのもつ鍋屋にひとりきりでとり残されてしまっている。  このまま雅が帰ってこなかったらどうしよう。私の財布の残金はたったの三千円こっきりだ。どう考えても足りない。ああ、そう言えば雅だってお金なんて持ってない。孝太郎はお会計をせず店を出た。私たち、無銭飲食ってことになってしまうんじゃないだろうか……!  グラスを握りしめて蒼白になっていた私は、再び開いた引き戸に安堵の息をついた。良かった、騙されてない。なぜなら雅の手には半分に折りたたんだ一万円札が握られていたからだ。そのだらしないジャージ姿は、降臨した救世主のようにすら見えた。 「おまたせ! こーちゃん帰ってったよ。愛ちゃんによろしくって。おこづかいももらっちゃった。これで今夜は、しこたま飲もうねっ」 「お、おこづかい……。良かった、心配したんだから」 「やだなー俺が愛ちゃんほったらかして帰るとでも思ったのー?」 雅は陽気に笑う。その雑種犬のような屈託のない笑顔に、私の中の警戒心はすっかり解けてしまった。 「だって……お金ないし。無銭飲食とかする度胸、ないし」 「ひとりでホール通いつめてるくせによく言うよー! 度胸なら人一倍座ってるでしょ? 俺いっつも『つええ女の子いるなー』と思って見てた。絡まず馴染まずひたすら打ちこむ一匹狼。しかもこんなに可愛いんだもん。いつ声かけようか機会をうかがってるうちに誰かさんのものになっちゃってさ。でもまたひとりになったみたいだから、今日すっごく勇気出して声かけてみたの」  にかっ、と歯を見せる雅。手の中の一万円札をジャージのポケットに突っこむと、ジョッキをかかげて「はい、ふたりでもっかい乾杯」なんて言う。 「うん……。乾杯」  それから私たちは飲んで、話した。話題は最近の戦績。自分が見た珍しい液晶演出。スロットのことなら話題がつきることはない。雅はたくさんのレア演出をケータイに保存していた。見たことのない画面に、私は興奮した。  いつの間にか私たちはとなり同士で身体を密着させて座っていた。アルコールのせいもあったのだろう。私はとても楽しくなって、いつまでもいつまでも雅と話した。閉店時間がやってきて、帰らなければならないと気付いた時にはとてもさみしかった。私はその夜、かなり酔っ払ってしまっていたのだ。  レジでの会計のタイミングで、雅が孝太郎からもらったのであろう一万円札をポケットから取り出した。それは一枚ではなく、十枚近くを重ねられたちょっとしたふたつ折りの束だった。  そこから二枚をレジに置き、「お釣りはいらないです」と言って雅は人畜無害の顔をして笑った。
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