第3話

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第3話

 その夜、雅は私の部屋に泊まった。  とても自然な流れでそうなった。雅が私を送っていくと言い、私は断らなかった。部屋の扉の前で雅は私を抱きすくめ、「いい?」とだけ言った。 「……いいよ」と私は返事をした。  雅はとても上手だった。散々してから煙草をふかす雅のとなりで、ベッドにあいた真っ暗な穴に吸い込まれるようにして、私は眠りに落ちていった。  目が覚めると雅がいた。まどろみの狭間で、私は一瞬息を飲んだ。見慣れた顔じゃない。これは、誰だっけ……。  その一瞬の間に雅がぱっちりと目を開けた。人なつこい雑種犬が微笑んで、私に柔らかくくちづけをする。 「おはよう愛ちゃん。俺愛ちゃんの夢見てた。ねえ、もっかいしてもいい?」  返事をする前に雅が覆いかぶさってくる。雅の手は大きくて指が長い。愛撫だけで私は泣き声みたいな声になる。遮光カーテンがあいた部屋は、降りそそぐ冬の朝日で満ちている。  雅は昨夜より激しい。私が身体を跳ねさせるたびベッドから舞い上がる細かなホコリが、透明な光の中でダイヤモンドダストのようにキラキラと輝いて見えた。  「……ええー。今日はホール行かないの? 行こうよ! 俺昨日の愛ちゃんの台が気になる。軍資金ならあるし。ね? 一緒に行こ?」  ふたりでシャワーを浴びて、脱衣所で私の髪をタオルで拭きながら雅はそう言った。せまいユニットバスで、雅は私を上から下まで洗った。 「今日は、だめなの。家にいなきゃ。人が来るかもしれないから、家にいなくちゃいけないの……」  タオルをあてがった上から子供にするようにわしゃわしゃと髪をかき混ぜられて、私は前後にふらつく。大人になってこんなことをされるのは初めてだ。甘やかされているようで恥ずかしい。でも嫌ではないから、したいようにさせておく。 「人が来るって……あいつ? 別れたんじゃないの?」  雅はすぐとなりの洗面台を指さしながら言う。そこに置かれているのは、男性用の五枚刃のT字のひげ剃り。  そうか、ちょうどいい。 「違う人。今日来るの。だから雅、はやく帰って」  玄関まで追いやった雅は、それでも食い下がった。黒いジャージの雑種犬は意外にしつこい。濡れた長い前髪からしずくが落ちていた。私のことはあんなにていねいに拭いたくせに、自分の頭はタオルを載せる程度で構わなかったらしい。 「そんなのほっとけばいいじゃん。ホール行こうよ。昨日の愛ちゃんの台絶対噴くよ。朝一並ばないととれないって。昨日の負け取り戻すチャンスだよ」 「ちゃんと話さないと面倒なことになる相手なの。放っておくと粘着質に責めてくるし。またホールでね。多分明日は行けると思う」 「『ホールでね』って。やだよ。俺から電話するよ。そいつ何時に帰る? 昼メシは? 一緒に食おうよ」 「だめなの。今日は夕方まで帰らない。夜には身体が空くからそれからならいいけど。六時かな。そのあとなら大丈夫だから」 「やだよそんなの。大体俺五時から仕事だし。そんな男が来んの待ってる必要ないじゃん。俺とホール行こ。そいつだって、いなきゃあきらめて帰るでしょ?」 「だめよ。電話がかかってくるもの。出ないとしつこく何回も何回もかかってくるの。出るまであきらめない。だから私、家にいなくちゃ。明日必ず電話するから」 「ええーっ。いやだ! 愛ちゃん今からここでその男とえっちするんでしょ? そんなの絶対やだよ! 俺そいつと話しちゃだめ? 愛ちゃんはもう俺のだってちゃんと言うから、俺も一緒にそいつに会わせて……」 「しない! しないから。そういう関係の相手じゃないの。とにかく面倒な男なのよ。私じゃなきゃ相手はできない。雅は昨日の台打って取り戻して。それでまたもつ鍋おごって。明日ちゃんと電話する。だからとにかく、今日はもう帰って!」  最後にはほとんどもみ合いだった。気迫の突き押しで私の勝利。雑種犬を追い出して鍵をかけたとたん、ベッドサイドに置いていたケータイが椎名林檎の『歌舞伎町の女王』を奏でだす。  まだ時間はあるはずなのにと、あわててケータイを開けるとそこにあるのは『いがらしみやび』の表示だった。……なんて早業。私は可笑しくなって、脱力しつつ通話ボタンを押した。  ケータイからこぼれてくる雅の声は、耳元でささやかれているようでとてもセクシーだった。 『……愛ちゃん?』 「はい。どんだけ早いの。早くホール行って。並んで。今日はちゃんと勝ってよね」 『まあ……愛ちゃんがそう言うなら行くけど。勝つけど。でも、俺のお願いも聞いてよ。ねえ。いい?』 「なに?」 『……今から来る男と、絶対やらないで。約束して。そうじゃなきゃ俺今日あの北斗打たない。また負けてやる。どう? そんなのって、マジでかわいそうでしょ?』  わかった、やらない、と言うと、雅は『大好きだよ』と言って電話を切った。私はなんだか変な気分。肩をすくめてケータイをベッドに投げて、洗面台に行ってあのひげ剃りを手にする。  雅にはうそをついた。それは、私の股間にあてがうためのひげ剃り。  時計を見るともう時間がなかった。私はベッドに仰向けになって、M字に足を大きく開いた。  お尻から回した左手でうしろに皮膚をひっぱる。ひげ剃りを持った右手の甲で大陰唇に触れると、少しちくちくした。ここを長い時間舐め回していた雅は、どう思ったのだろう。  このひげ剃りは、クリームがいらない。刃をあてたそばからぬるりとする。本当はなにか塗った方がいいんだろうけど、めんどうくさい。そもそもなんだか湿気の多い部位だから、気にする必要もないだろう。  手早く、左右の大陰唇のちくちくを取り除く。そのうしろ、肛門の周りは慎重に。前にこのひげ剃りで傷つけて、数日間ひりついてたまらなかったことがある。あのいやな感覚は、そう何度も味わいたいものではない。  つるつるになったそこを、確かめるように手の甲でなでる。雅が慈しむように愛したこの場所は、今からたくさんの男に晒され、傷つけられることになる。  私はうそをついた。でもきっと許される。厳密に言えば、それはうそとは言えないんだから。  手早くメイクを済ませて、やっと服を着る。九時四十五分にもう一度『歌舞伎町の女王』が鳴り響いて、私はこのせまい寮から愛売る場所へと出勤することになる。
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