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二、女の心
童顔の彼女が車で立ち去るのを見送ると、後ろから声をかける者がいた。僕と同じ事務所に勤める先輩の斎藤未来(みく)だ。
「やけに楽しそうだったけど」
ワンレン美人を気取る斎藤は、少し拗ねたように唇を尖らせて言った。実際、彼女は、しがない個人事務所で働かせるにはもったいないくらいの長身の美人だった。レースクイーンばりの容姿を持つ独身の彼女には、世の男性全てがぞっこんになって当然という幻想を持っていた。
僕は慌てるでもないが「そんな風に見えた?」と、しどろもどろした。
「婚活パーティーに来たのは付き合う相手を探しに来たんじゃないの。あくまで仕事ということを忘れてない?」
「当然、忘れてはないけど……」慌てる僕。
女は腕組みし、ご不満のご様子。
「あんたは入所四年目の探偵なの。もう新人じゃないの。独立する人だっているくらいのキャリアよ。しっかりしてもらわないとねー」
あくまで先輩が後輩に諭す形をとってはいるが嫉妬を感じているのは直観で分かった。とは言え、男に好意を持っているわけではなく、それどころか大学を出ていない僕を軽蔑していた。女は自分という美人を一番に考えてくれないことに腹を立てていた。美人にとっては自分を二番目に考えること自体が有りうべからざる侮辱であり、プライドを深く傷つけた。
「一週間前、鈴木清尊(きよたか)のお母さんが事務所に尋ねて来たでしょ? 覚えてる? あんたが気に入っているあの女は、連続殺人事件の重要参考人だった人なのよ」
一週間前の昼下がり、寒の入り激しい雪の日に、古びた雑居ビルの鉄製ドアをノックする者がいた。見ると小柄な背中が丸い老婆がひっそりと立っていた。化粧っ気はなく、白髪がほとんどのまばらな髪を一つに束ねていた。歳は還暦になったばかりだというのに頭頂が禿げていた。服装はホームレスのようで、たすき掛けにした小さなポシェットのベルトは擦り切れていた。その痛々し気な表情を見るこちら側が苦しくて堪まらないほど、一瞬で同情心を湧き起こす何物かがあった。衝立で仕切った面談室に通し話を聞くことに。
「息子は、清尊は、小田マリという女と戸籍上のみの結婚をしたんです。前科がある息子は、苗字を変えないと就職すらままならない状況で。あるNPO法人の勧めでそうしたんです。そのNPO法人は、前科のある者を更生させる活動をしているとかでした。息子のような者に戸籍上のみの結婚を斡旋している団体でした」
老婆は、話すのもしんどいという苦し気な表情をしていた。何度も休憩を挟んでは話を続けた。
「息子が戸籍上のみの結婚をしてから四カ月後、出勤中の自動車事故で亡くなりました。ガードレールにぶつかって即死でした」
ここで一旦言葉を切った時、老婆の目から涙が滴り落ちた。老婆の目は宙を見ていた。
「こういうこともあるかもしれないとその時は思ったんです。悲しいですが」次に老婆は言葉を取り戻すように語気を強めて言った。
「でも、あの女は、小田マリは、たった半年で再び戸籍上の結婚をした。そして、その四カ月後、相手は自動車事故で死……」
老婆は、もう泣いてはいなかった。言い切ってしまわなければという義務感が老婆を支配しているように思われた。
「あの女が再婚したことなどは、調査員から聞いたことなんです。ほら、生命保険会社には調査員っているでしょ。女は二度の結婚とも相手に何億という生命保険をかけていたんです。これはおかしいです。絶対におかしいです。わたしは警察に駆け込みました。警察は捜査してくれましたが、小田マリにはアリバイがあるということで不起訴になりました。こんなことは親として絶対に納得できません」
老婆は事件を個人的に捜査してもらうために探偵事務所を訪れた旨を話した。老婆は捜査には老後の資金全てを投げ出す覚悟という。悪魔のような女を法廷で正当に裁いてもらうために。
僕と斎藤は仕事とはいえ義憤を感じた。そんな魔女を野放しにしておくわけにはいかない。 老婆は様々なことに言及し話し尽くすと、寂しそうな、それでいて決意に燃えているような痛々しい表情をして、事務所をあとにした。
小田マリは、平日は保育所を利用していた。僕は翌日の夕方、小田マリが利用している保育所を車で様子を見に行った。保育所の玄関先で、美少女がマリに飛びついてお猿さんのようにぶら下がった。マリは、うっとりした眼差しで沙羅を抱いた。本当にこんな女性が人を殺せるんだろうか。
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