言い訳からの導入

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 まずは簡単なプロフィールから行きましょう。  清河八郎(きよかわはちろう)って名は、後の偽名であって、庄内藩(山形県)の裕福な郷士、斉藤家の長男、斉藤正明が本名で、生まれ育った村、清河から偽名を拝借したものと思われます。    莫大な土地を所有する大地主の子、正明くんは、お坊ちゃま気質からくるものなのか? 親の後を継ぐ気なんて一ミリもなく。 「いつか大きな事をやってやる」  と、漠然とした夢を抱く少年でした。  正明くん・・・いやここからは紛らわしいので通りの良い「清河八郎」で通してゆきましょう。  なので、ここからは「清河」か「八郎 」で書き進めてゆきたいと思います。  改めて!八郎が十七歳の時、斉藤家にお客様がやってきます、名を藤本鉄石、八郎の人生を変える、一人目の「鉄」です。 (二人目の「鉄」は後ほど登場予定)  藤本鉄石は、旅から旅へと名のある人物の出会い見聞を広げていた脱藩郷士で、当時としては先験的な、学のある男で、これよりかなり後に広まった「王政復古」の原型のような考えを既に胸に秘めているような初老の学者?でした。  この頃まだ「浪人」という呼び名は一般的ではなかったのですが、藤本鉄石は、浪人のはしりのような人物で、八郎はこのちょっと老け顔の、風変わりな客人を「じじ」と呼びなついたそうです。  ある日八郎の父は、鉄石に相談します。 「うちの子は天下に名を上げてやるだとか、大事をやってみせるだとか言って、家業の見習いをさせても、覚えようとしないのです、どうしたらよろしいでしょうか?」  鉄石は、困り果て相談してきた父親に一刀両断の言葉を浴びせます。 「まあ、それは諦めることですな」  父親は、あんぐりと口を開き、「そりゃないよ」と鉄石に訴えかけるのですが、鉄石じじはそれに追い打ちをかけます。 「私もそうですが、郷士と生まれたからには、大義をなそうとするのは自然なこと、むしろ息子さんをの野望を励ましてやるべきでしょう」
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