永久機関

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 ――目を開ける。  あたりには人、人、人、人、人、人、人。「人混み」なんて言葉を作った人は実にセンスが良い。目の前の光景を形容するなら「ゴミ」という響きはまさしくそのものだ。  このゴミを構成するゴミたちは互いに交わり、手を組むことでゴミのような歴史をゴミゴミと積み上げてきた。その集大成の一端のそのまた一端、この渋谷の街にいる私もまた、ゴミの一人である。渋谷と言って大衆のゴミどもがきっと最初に思い浮かべるのであろうこのスクランブル交差点は、そんな人間の歴史の象徴とも言える。  赤い光を放ってゴミの進行を抑制している信号から、さらに上の大きなスクリーンに視線を移す。顔だけはよく知っているが何度聴いてもゴミみたいな声のアナウンサーが、空を見上げればゴミでも分かる天気予報を読み上げていた。今日は全国的に快晴。雲ひとつない真っ青な空。明るく柔らかく降り注ぐ光が、地上のゴミを包み込む。  やがてどこぞのゴミが青と表現してしまった緑が光り、交差点にどっとゴミが溢れ出す。私もまたその流れに乗って歩を進める。何となくもう一度見上げたスクリーンには、さっき見たばかりの天気予報がまた映し出されていた。今日は全国的に快晴。  ……今日は。  このゴミの吹き溜まりめいた渋谷に何かこだわりがあるわけではないのだけれど、ゴミの塊のような友達がみんなこの近くに住んでいるから、遊ぶときは自然といつも渋谷かその周辺になる。でも今日に限っては、渋谷でなくてはならない理由がある。  背負ったカバンに入っているのはゴミと間違いそうなコスプレの衣装。そう、今日はハロウィンだ。ハロウィンの渋谷といえば、仮装して練り歩くゴミみたいなイベントが繰り広げられるもの。いつもの三倍、いや四倍増しでゴミゴミと集まったゴミどもが、既製品だか手作りだかはさておきさまざまなゴミをまとってユラユラと歩き回る。そして結局私も、そんなゴミの一部になる。最高だ。  もう仮装しているゴミ、これから仮装するのであろうゴミ、ゴミになりたくなくて必死に足掻くゴミ。ゴミの顔なんて見た瞬間に忘れてしまう。きっと向こうだってそうだろう。知らない人の顔なんて、お互い一ミリたりとも興味がないのだ。  ……では、誰の顔なら知っている?  目的地はゴミがよく溜まり場にすることでお馴染みのカラオケ店だ。カラオケに行って、喉をゴミに変えてから、酒を呑みにこれまたゴミ溜めのような居酒屋ではしゃぎ倒す。これがゴミらしい遊び方で、私もゴミである以上そのように楽しんでいる。もっとも、今日に限ってはゴミに着替えたらすぐ外に出るのだけれど。  道中、ビルとビルの細い隙間が無性に気になった。理由は分からない。あるいは理由なんてないのかもしれない。普段はこんなゴミもないようなところには絶対に気を向けないが、たまたま目についてしまった。それだけだ。  覗き込むとそこには何もなかった。当たり前だ。あるのは、ただただ黒々とした細い闇だけ。 - OUT OF AREA -  やがてゴミ集積所かと思うようなカラオケ店の入口が見える。歩くゴミとゴミの間に、よく見知ったゴミが見える。私は少し足を速め、同時に喉の準備をする。これから私は、あのゴミたちに挨拶をしなければならないから。したくなくてもしなければならない。知っているゴミと会ったら必ず挨拶するという暗黙のルールが、私を縛りつける。でもそれは私に何の違和感も与えない。私にとって、いや誰にとっても、それは当たり前で、疑問を抱くまでもない行為だ。なぜなら私たちは、考える頭を持たないゴミだから。  息を吸い、そしてできるだけ明るく、可愛く、元気良く、ゴミにふさわしく。 「おはよー!」  世界は暗転した。  ――目を開ける。  さっきまでそこにあった……いや、そこにあったと思っていた一切のものは、ここにはない。全てはついさっき頭から外したばかりのこのゴーグルのような機械が私に見せていた夢で、幻で、空想で、虚構だった。外したとは言ったが、そこに私の意思は介在していない。気がついたら私の手の中にはこの機械が収まっていて、目の前に広がる世界は終わっていた。ガラスの向こうに見える、舞い上がる砂埃で茶色く枯れたビルの群れをぼんやり眺めて、私は短く息を吐く。かろうじて身動きが取れる程度の狭い部屋の中で、何もまとっていない自分の身体を抱くようにさらに身を縮める。  あのハロウィンの日、あの瞬間。渋谷は、世界はひっくり返った。その日以外のことは何も覚えていない。次の記憶はついさっきの目覚めであり、前の記憶は渋谷のハチ公の前で目を開けたときのものだ。  これ以外に分かっていることがあるとすれば、この機械を再び装着すれば今ここで見たり考えたりしていることについての記憶は消去され、再びあのゴミ溜めの渋谷に帰されるということ、そして私にはそうするしか選択肢がないということだけ。これから先ずっと、永久に。もはやゴミと名乗ることすら許されない、ただそこにあるだけの存在。  ……いや、そもそも今ここにいる私は果たしてリアルに存在しているのだろうか。この機械を被ったときに見えるハロウィンの渋谷を楽しもうとする私のほうがリアルで、今こうして崩れ去った渋谷を眺めている私がバーチャルなのではないだろうか。そう思うとそんな気がしてきて、こんな悪夢から早く覚めたいという気持ちが湧き上がって抑えられなくなる。手の中の機械を見つめ、何となく転がし、構える。  装着する直前、窓の向こうに何かが見えた。それは空を飛んできて、私のいる部屋の窓に近づき、私を監視するようにその一つだけの赤い目を向け、抑揚のない声で話しかけてきた。 「オヤスミ」 - RESTART -
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