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イヤイヤイヤ、何を失礼なことを。ユズルさんはまず私のOKの返事を聞いてから、時間を連絡してくれようとしたんだ。まったく私ってば。
もう一度、シートに座って返信をする。
(実は私もユズルさんに謝りに〈MIYABI〉行こうと、今電車に乗っています。)
なんだかにやけてしまうのを頑張って抑えながら送る。これで『では◯時に』ってコメントがくるはず。
心の中だけでニヤニヤしながら、スマホの画面を見つめていた。
きた!
ユズルさんから届いたのは、熊が『ohー!my GOD!』と天を仰いでいるスタンプと、同じく熊がパニクっているスタンプ。
こんなかわいいの買ったのかな、モヒカンで。
フフって笑ってしまった。フフって笑い方が実際にあるんだと思った。マンガではよく見るけど。フフって自分がこんなマンガみたいな笑い方するとはね。
『フフっ』の顔のまま、そのままスマホを見つめていた。
見つめていた。
見つめていた。
……
何時なんだよ?! モヒカンタロウ! ユズルさん!
落ち着け、私。
『フフっ』なんだから。
でも熊のスタンプのあと、ユズルさんから返信はないまま駅に着いてしまう。
この間の場所は、スクランブル交差点のこちら側だから渡らなくていい。でもなるべくあの近辺にはこれまで近づかなかった、仕事のとき以外。
なのにわざわざ休みの日に。〈MIYABI〉がよかったな、あの店じゃダメなのかな。
苦手な場所が近づいてくると、気持ちもどんどんダウンしてくる。渡らないのに。手前なのに。
優しかったモヒカンタロウ、会いたかったユズルさん、優しいユズルさん、ミノリちゃんって言ってくれるユズルさん。そんな彼に会いに来ているのに、あの場で何度も体験した嫌な記憶がトラウマみたいに蘇ってしまう。
電車の中では走りたかったのに、改札を出てから足がズンズンと重くなってくる。ユズルさんに会いたい心は焦っているのに、体と海馬にある嫌な記憶が前に進むことを拒んでいる。
それでも重い足を運ぶことができるのは、そこに会いたい人がいるから。そこに優しいモヒカンタロウがいるから。
でも、いる? 本当にいる? からかわれただけかもしれない。だって時間も教えてもらってない。
『東京のオトコはみんな狼じゃけん』ーーばあちゃんの声がどこかから聞こえた。
あの場所に来た私をビルの屋上から双眼鏡で見ていて、イチローやジローやサブローと賭けをしてるとか。私が来たらタロウの勝ち・・とか。
クラクションの音がする。歩道なのに、日曜日なのに私を抜いていく人のスピードが速い。
植え込みが見えてきた。どうしよう。
ついさっきまで、嬉しくてわくわくしていたのに私の気持ちをマイナスに導くのは、トラウマだけじゃなくて、地場の力だけじゃなくて、植え込みはしっかり目に入る場所なのにモヒカンの人がいないからだろう。
だって時間の連絡、こない。
そして私の気持ちがダウンしたのを見抜いたように、周囲の音と引き換えに頭の中に入ってきてしまった。
『マジムカつくんですけど』
『日曜くらいのんびりさせてくれ』
『アイツさえいなければ』
『あれ絶対ゲットする!』
『映画観て、飯食って、ヤル!』
『バーゲンまで待つんだから』
『あー誰か殴りたい』
『腹減った、クレープ食いたい』
『アイドルに会えないのかなあ』
『暑すぎだろ』
『クラクションうるせー』
『あの短さは触ってくださいだな』
『部長が死ねばいいんだ』
『さっきのバッグ買ってって言う』
『カレー、食べたい』
『人多すぎ、半分でいいわ』
『ゴスロリ、信じられない』
『あのスカートかわいい』
『なんで日曜に働かなきゃいけねーんだ』
『リア充滅びろ』
『あ〜ノロノロ歩くな! 邪魔、轢き殺すぞ』
誰のものかもわからない思考がなだれ込むように押し寄せてくる。
知りたくない、いらない、助けて。
もう少しというところで足が止まってしまった。
そんなことをしても無駄だってわかっているのに、両手で耳を塞ぐ。もちろんそんなことは関係ないから、次々とその付近にいる人のいろんな気持ちが、断りもなく無遠慮に脳内に飛び込んでくる。いやだ、聞きたくない。
『これ渡すのと渡さないのとどっちがいいか。ヨージさんの方向性はフランケンはライブ展開メインだから、やっぱ最初はライブかな。凱旋までにケンちゃんとこのギグって、んで来月の凱旋ってのか、凱旋ファーストってのもいいし。でもいきなりマジモッシュとかキツイかもしんねーし。腹減ったな、どっから電車乗ってんだろ?』
えっ?
顔を上げて目を開いた。
最後に脳内に入ってきた誰かの思考のあと、周りの音が耳から戻って来る。
でも植え込みにモヒカンの人はいない。
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