孤独

6/6
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
 おそるおそる見ると、一人のホームレスが居を構えようとしているのだった。なぜこんなに遅くに来たのだろうと少し疑問に思ったが、すぐに合点がいった。ここは人通りのわりに道幅が狭く、人が減ってきてからでないと落ち着かないのだ。鈴木の目には涙があふれた。自分と似た境遇に感じ、親近感を覚えたのだった。鈴木はその男のこれまでの人生も知らないし、彼は鈴木と違って人に認識されていた。その点で、鈴木の論では自分よりはるかに価値のある存在だし、今までは漠然(ばくぜん)(さげす)んできたのだから、ずいぶんと虫のいい話だ。  鈴木は夜の間中ずっと、このホームレスと旧知(きゅうち)の友のように話をした。話をしたと言っても、もちろん返答はなかったし、男は早々に寝てしまっていて、鈴木もそれは分かっていた。それでも彼の孤独の念は少し紛れるのだった。  空が白んでくると、早起きの通行人たちがホームレスの存在を気にしながら二人の前を足早に通り過ぎる。そこで鈴木は、自分と"友"の立場の違いを突きつけられた。彼は裏切られた気分だった。世界で唯一の味方が敵にまわったような心地だった。鈴木は、持っていたソムリエナイフを取り出した。そして、懇願(こんがん)するような目で男の足を突き刺した。 「う」 男は小さな音を発し、少し顔を(ゆが)ませる。鈴木は目を輝かせた。刺しては抜き、刺しては抜き、彼は反応がもらえることに心を踊らせる。  程なくして、通行人の一人がうめき声を上げた。ホームレスはその時初めて自分の体が刺し傷だらけになっていることに気が付いた。痛がり、悲鳴を上げ、這って目に見えない脅威から逃げようとした。これを見て鈴木は我に返った。そして、彼の表情は喜びから憎しみへと変わっていった。彼は、自分を痛めつけている張本人すら見ようとしない目の前の男が憎かった。彼は男を追いかけ、駄々をこねるようにでたらめにナイフを振り回した。  温かい液体が顔にかかった。不運にも、振り回した刃先が男の首の血管を切り裂いたらしい。通行人から断末魔(だんまつま)のような叫びが上がった。鈴木は声の方を見た途端、ナイフを落とした。彼らと目があったのだ。鈴木は、通行人と(あわ)れなホームレスを交互に見やり、涙した。彼らは間違いなく自分を見ている。鈴木が観客の中に飛び込むと、彼らは声を上げて逃げ惑った。  鈴木は駆け出した。商店街の人ごみの方へ。彼にかかっていた忌まわしい魔法は、汗や血液に触れることで解けたのだ。彼にはそんな、解除された理由など今はどうだってよかった。後ろに飛び去る景色、人々が皆自分を見ている。それだけで十分だった。彼のうしろ姿は、公園に駆けていく少年のように喜びにあふれていた。  商店街に飛び込む直前に彼は警察に取り押さえられた。警察官たちは、人ごみの方へ伸ばされた彼の手を後ろに組ませ、手錠をかけた。その間も、彼は野次馬(やじうま)から注がれる冷たい視線を一つ一つ吟味(ぎんみ)していた。すべてが自分に降り注ぎ、彼を拒絶する世界など、もうどこにもなかった。鈴木は満足そうに深い眠りに吸い込まれていったのだった。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!