孤独

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 鈴木が目を覚ますと、血色の悪い顔がこちらを覗き込んでいた。目は落ち窪み、頬はこけ、まるで死人のようだった。その顔は鈴木の顔にゆっくり落ちてきた。朝から何ということだ。今まで夢うつつだった鈴木は一気に飛び起きた。眠気が吹き飛び悪寒(おかん)が押し寄せてくる。冬の朝だというのに身体中がしっとりとベタついた汗に覆われていた。 「出た!」 そう叫びながら、鈴木は居間に駆け込んだ。  彼は、両親と三人で暮らしている。職探しもせずに親のすねをかじっている彼は、家族がいる時間帯には居間に寄りつかないようにしていた。顔を合わせたら長々と小言を言われることが分かりきっているからだ。思わず居間に飛び込んだ彼の頭に、少し遅れてその(わずら)わしさへの懸念(けねん)(よぎ)った。しかし、不思議とそんな心配は無さそうだった。  居間にはゆったりとした時間が流れていた。両親が朝食を囲み、食器がぶつかる音がささやかに響いていた。 母は視界の端で居間の扉が開いていることに気付き首をかしげた。 「風かしら。いつの間にか扉が開いてる。」 「本当だ。よほど風が強いらしいね。厚着した方がいいかもしれないな。」 扉を閉めに立ち上がった母を目で追いながら、父はため息混じりに言った。 「勝手に?ふざけるな!出来の悪い俺はいないもの扱いか!」 鈴木はがなりたて、扉を乱暴に閉めた。 ビクッと両親の肩が扉の閉まる音に反応する。 「そんなに勢いよく閉めなくても…。」 驚いて振り返った父は、微動だにしない母を見て言いよどむ。 「今の見ました?急に扉が勝手に閉まりましたよ。」 「きっと風だよ。だって、この家には他に誰もいないじゃないか。大丈夫だよ。朝ごはんを食べよう。」 なだめる父に言われるまま、青い顔をした母は食卓に戻り朝食のトーストを口に運んだ。ただその間も視線は扉に注がれ続けていた。 「もういい。こんな茶番には付き合っていられない。」 鈴木は家を飛び出した。人が大変なものを見たというのに手の込んだ演技なんかして、どういうつもりなのだろうか。早足で歩きながら口の中で文句を言い続ける。  歩速が落ち着くとともに彼の頭は冷静さを取り戻しつつあった。しかし、一度に色々な事が起きて未だに動揺している。なにより、頭を使うなど久しぶりの事だったのだ。落ち着こう。そう思って鈴木は立ち止まった。すると同時に背中に衝撃を感じた。追突されたのだった。  追突してきたのはサラリーマン風の男だったが、彼はそのままの速度で鈴木を追い越していく。普通、追い抜きざまにこちらの顔をにらんだり、苛立(いらだ)ちが背中に現れたりするものだが、歩き去る彼の背中からは何の感情も読み取れなかった。  鈴木の心はざわついた。思えば妙だ。彼は寝間着(ねまき)のままだし、何日も風呂に入っていない。悪目立ちしているはずなのだ。それにも関わらず、こちらを盗み見る者もいなければ、見ないように意識を向けてくる者もいない。すれ違う人も追い抜く人も彼を遠巻きにせず、ぎりぎりを通り過ぎていく。そういえば、両親も彼の事を見えていない様子だった。  霊は見えるし人間には見えなくなっている。自分は死んでしまったのだろうか。いや、それはない。物にも人にも触れられるのだから、自分が霊ではないことは明らかだ。それに、さっきから見ていると、霊も彼を認識できていないようだった。霊達と目が合うことはなかったし、他の人間を避けて通る彼らも鈴木の事は時々すり抜けた。
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