孤独

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 家具屋に入ると、厚手の毛布や布団を何枚か抱えてすぐに出てきた。もう後ろめたさを感じる余裕も、言い訳をする元気も残ってはいなかった。彼は夜を外で過ごすことに決めていた。元々人間などお構いなしに昇ったり沈んだりする太陽ならまだしも、人の手でそれをされるのはもう我慢ならなかった。彼は人通りの少ない高架下にちょうどいいスペースを見つけ、無造作(むぞうさ)に布団を敷いて、横になって目を閉じた。彼は疲れ切っていた。体力も気力も限界をとうに超えていたし、この自分以外のための世界を見るのも嫌になっていた。  見慣れた天井。薄暗い自分の部屋の天井だ。起き上がろうとしても体は動かない。体と同じ位置に自分の意識があるだけ、糸の切れた操り人形の手板(ていた)を操作している様だった。視界の隅で部屋の様子を(うかが)うと、見慣れた部屋とは様子がとても違っている。全体的に色はあせ、色の強弱が失われているし、表面は無秩序にささくれだっている。この居心地の悪さは記憶があるな。鈴木はろれつ(・・・)の回らない頭でぼんやりと感じた。その時、部屋の外から子供の声がした。不気味さは脈打ち、意識が突き動かされた。ここには来たことがある。昨日と同じ夢だ。彼はもう一秒だってここにはいたくなかった。彼は部屋の中の体ではなく、高架下の体を動かそうともがいた。  目を覚ますと、ちょうど列車が通過していた。鈴木は慌てて起き上がり、周りを見回す。体は動くし、汚ならしい高架下に間違いなかった。あちらが夢でこちらが現実なのだ。まだ自分は孤独に死んでいくと決まったわけではない。油でほこりを()いたような臭いが心地よく感じた。  目を閉じてからどれくらいの時間がたっただろうか。人通りは少なくはないし、街灯の光も寂しげではない。経っていても一二時間だろうか。まだ夜は長いのだ。寝ねばなるまい。彼はもう一度目をつむったが、まぶたの裏にさっきの光景が早送りで流れるだけだった。 「もうだめだな。」 彼は毛布にくるまった。今夜はもう眠りにつける気がしなかった。今夜だけではないかもしれない。日が進むにつれて、あの夢が現実感をもって押し寄せてくる予感がしてならなかった。寝そべったまま、道行く人々を目で追う。といっても、その様子をしっかりと目にとらえているわけではない。車窓から流れる景色を見るように、別の世界を視界に入れているに過ぎなかった。  彼らの目にはここがどう写っているのだろう。自分の後ろにあるフェンスしか見えていないのだろうか。それとも、道端のアリのように、自分のことが目には入っていても認識はされていないのだろうか。些細(ささい)な違いではあるが、今の彼には大きな問題であった。問いを投げかけてはみたものの、彼には後者にしか思えなかった。触れることはできるし、人は彼を避けていく。それが、無意識に鈴木の存在を感じ取ってはいるという、何よりの証拠であった。通行人が皆、内心ほくそ笑んでいるように思えてくる。路上で布団まで敷いて堂々と寝ている彼に気付きもしない通行人たちの横顔に、鈴木は苛立(いらだ)った。 「本当は見えているんだろ?なんとか言えよ。」 「ほら、俺を見ろよ。」 鈴木は通行人の(えり)をかわるがわるつかみ、揺さぶりながら色々なことを叫んだ。しかし、彼らは揺れすら感じない様子で家路(いえじ)を急いでいた。  鈴木は再び毛布にくるまると、通行人を背にして横になった。寝ることもできない、人を見ると悲しくなり、霊を見るとむなしくなる。彼にはもうできることがなかった。しばらくそうしていると人の歩く音が徐々に少なくなっていった。安心し始めた矢先、すぐ近くに人の気配を感じた。
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