傾倒する知性

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傾倒する知性

 大学での講義を終え、相澤翔(あいざわかける)が携帯端末を確認すると、メッセージの受信を知らせる通知が点滅していた。佐伯良太(さえきりょうた)の妻、聡子(さとこ)からだ。相澤にとって、良太は大学時代の同期、その妻、聡子は高校時代からの友人だった。二人は相澤の紹介で、結ばれたようなものだ。 『忙しい所ごめん、良太のことで相談があるのだけど、少しだけ会えるかな?』  なんとなく予想はついていた。良太が傾倒しているという宗教団体の件だろう。良太は、関東工科大学を主席で卒業すると、カリフォルニア大学サンタバーバラ校に留学した。彼はそこで素粒子物理学の学位を取得し、大学の連携施設であるオパーリン理論物理学研究所で研究活動を行った。三年ほどの間に華々しい業績を残し、二年前に帰国していた。  今は相澤も勤務している母校、関東工科大学の連携施設、オパーリン数物連携宇宙研究機構の主任研究員だ。オパーリン財団とは、科学者とその研究に対する援助を行う財団で、この財団の支援を受けた国際研究機関は、施設名にオパーリンの名を冠することになっている。  帰国後も科学者としてエリートコースを歩んでいた良太であったが、程なくしてデザインアースという宗教団体に入団した。その当時、相澤も入団するよう誘われていたのだが、丁寧に断った経緯がある。数学と物理を専門とする良太が宗教に傾倒した理由は良く分からなかったが、相澤には全く興味のない話であった。それ以来、彼とは疎遠となり、最近ではほとんど顔を合わせていない。  待ち合わせの喫茶店に入ると、聡子の姿はすぐに分かった。学生当時からあまり変わっていない容姿。長い髪が似合う清楚な雰囲気は、まだまだ大学生でも通じるような気がした。 「久しぶりだね」 「ごめんね、忙しいところ」 「ああ、大丈夫。それで話って、例の宗教……確かデザインアースって言ったっけ?」  聡子の向かいの席に腰かけた相澤は、運ばれてきたグラスに手を添える。水に浮かんだ氷が、小さく音を立てて回転した。 「最近は特にひどくて……。お給料のほとんどを、あの団体に寄付しているみたいなの。問い詰めても研究資金のためって、その一点張りで……」  そう言って聡子はうつむく。事態は想像以上に深刻なようだ。 「デザインアースって、どんな団体なんだっけ? 以前に良太から聞いた話だと、神が世界を創造したみたいな話で。そうそう、進化論とかそういうものを否定するような話があって、僕の専門だったから、なんか印象に残ってる」  相澤の専門は進化生物学だ。生物統計学を駆使しながら、未だかつて誰も目撃したことが無い進化という現象の本質を捉えようと研究を重ねてきた。だがしかし、業績は振るわず大学では講師の身分であった。 「勤務先から無断欠勤が多いって連絡もあって、いい加減にしてほしいって、彼に話をしたら……」  あの温厚な性格の良太が、聡子に手をあげたそうだ。何が彼をそこまで変えてしまったのだろうか。 「この世界の根源を知ることの偉大さが、お前に分かるかって……。ねぇ、どうしたらよい?」 「とりあえず良太と話をしてみるよ。状況を少しずつ整理していこう」 「ありがとう。こんなこと、翔にしか相談できなくて」
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