籠の鳥は雪解けを待つ

2/3
8人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
 見張りとはいえ、ずっと付きっきりというわけではない。  用を足す時、食事をする時。時刻を定めて、交代する。  食事の時間は、報告の時間でもある。  かわりはないか尋ねられるが、彼女がなにかをなしたことは、一度たりとてなかった。  魔女はなにもしない。  ただ、そこに在るだけだった。  あのちいさな部屋で、いったいなにができるというのだろう。  妖術をあやつるというのであれば、父親である王が(しい)された時にそうしているであろうに。  休憩から戻る道すがら、侍従とすれ違う。手に持っているのは鳥籠で、例の小鳥がピチョピチョと声をあげている。  籠を掃除するため、ああして引き取りにやってきて、しばらくすると戻ってくるのだ。  魔女の小部屋は、徹底的に閉鎖されている。  彼女を外界とつなぐものは、着替えを持ってくる侍女と、鳥籠を清掃する侍従だけ。  使用人たちは王女であった彼女のことを、どう思っているのだろうか。  接する時は常に表情を変えない彼らは、まるで人形のようだ。    * * *  いつもいつも、いったいなにを読んでいるのだろう。  ひょっとして、そこになんらかの呪文が書かれており、ひそかに解読をこころみているのだろうか。  男が眉を寄せて思案した時、魔女がくすりと笑った。 「そんなもの、あるわけがないでしょう」 「――なんの話ですか」 「おまえ、いま自分がなにを言ったかすら記憶していないの?」  どうやら疑問は口をついて出ていたらしく、魔女はいつになく笑っている。普段の澄ました冷淡な顔がゆるみ、ただの娘のような顔つきとなり、男は驚いて胸の鼓動を速くした。  そういえば、この女はいくつなのだろう。成人はしていると聞いたが、具体的な年齢までは聞かされていない。  男はただの見張り役で、話し相手ではないのだ。  彼女もまたそれを承知しているせいか、こちらに話しかけてくることもなかった。  必要最低限の会話しか、していない。  着替えを運んでくる侍女にすら、話しかけることをしない彼女のことを、男は「下々の者とは会話なぞする気もない、気位の高い王女」だと思っていた。  だがしかし、どうだろう。  受け答えは聡明で、理路整然としている。他国の情勢などにも通じており、男の祖国であるセブロートについても明るかった。  これだけ把握していながら、なぜ国が傾くことになったのか、理解に苦しむ男に魔女は告げる。 「お父さまもそうだけれど、女は政局に口を出すものではないという考えですもの」 「固いな」 「あら、そういった気持ちは、なにもこの国だけではないでしょうに」 「……そうだな」  (さか)しい者は、足元をすくわれる。  それが女であれば、よくは思わない男も多かろう。  愚かなる独裁政治を敷いた王の周囲にいる輩となれば、考えなぞ()して知るべしだ。  それでも、国の利となるものであれば、受け入れられる。ちいさいながらも「国」として成り立っているのは、交易による利益が大きい。  アンセスには職人が多い。  国内だけで流通していた品物は、丁寧な仕事と質の高さにより、他国の富裕層に高値で売れたのだ。  大量生産による品質低下はさせず、数をしぼって質を維持。生産数を抑えることにより、希少価値もあがる。  魔女が座る椅子もそのひとつで、この派手な色柄は「見せる」ための仕様なのだという。  細い指が椅子の背もたれをなぞる。  緩やかな曲線に指を這わせ、満足そうな笑みを浮かべる姿は、高貴で不遜な王女の顔である。  怜悧な顔は、それだけで彼女の印象を変えてしまう。氷の魔女とは、よくいったものだ。 「セブロートには感謝しているのよ。かの国ならば、アンセスを潰しはしないでしょう?」 「私にはわかりかねますが」 「なかなか良い顧客ですもの。大国だけあって、随分と稼がせていただいたわ」  輸出国の情勢に合わせて売り値を変えるが、セブロートへはとくに上乗せしていたのだという。  とはいえ、不当に値をつけたわけではない。使用する材料の質をあげ、全体の底上げをはかるのだ。受け取り手にしてみれば、最高級の材を使い、かつ一点ものであるという箔もつく。両者にとって良いことずくめの取引だった。  艶やかな笑みを浮かべて、魔女はなかなかにあくどいことを呟く。  やはり彼女は、氷の魔女かもしれない。   * * 「オマエ」  聞こえた甲高い声は、魔女のものとは異なっている。  だが、ふたりしかいない部屋の中で、男ではない声を発する人物は、魔女しかありえない。 「アラ、オマエ」 「――おまえ、しゃべれるのか」  小首を傾げる黄色い小鳥を見やり、男は目を見張る。近づくといつものように男を恐れ「ブレイブレイ、オマエ」と高く鳴く。 「無礼って、おまえな……」 「ブレイブレイ」  狭い鳥籠の中を飛び回るせいで、吊り下げられている鉄製の籠が左右に揺れ動く。  嘆息した魔女がめずらしく近寄って、鳥籠の扉を開けた。 「……そう、おまえ、言葉を覚えたのね」  魔女が差し出した細い指をつかみ、小鳥は身じろぎを繰り返す。魔女は鳥をたずさえて窓辺へ寄った。椅子の背に小鳥をとまらせると、おもむろに窓を開けた。  無風ではあるが冬の空気はひややかで、室内にするりと冷気が滑りこんでくる。  城の一角とはいえ外れに位置するこの部屋は、裏手に面していることもあり、お世辞にも「景色がよい」とはいえない。城の背後に広がる針葉樹林は葉を落とし、尖った先端は槍のように連なっている。  天を撃たんとする軍勢のようだと感じるのは、男が兵士であるせいか。穂先に(つらぬ)かれる身体を想像し震えが走るが、寒さのせいだと己をごまかした。  男の心情など知るよしもなく、魔女は瞳を細めると、椅子の背を歩く小鳥をもういちど指へ導いた。そうして戸外へ手を伸べると、勢いをつけて振り払う。  ちいさな羽ばたきとともに、黄色い身体が窓の下へ消えた。  おもわず駆け寄った男の目線の先で、ようやく平衡を保った小鳥が旋回し、羽ばたきながら舞い上がる。  枯れた木々を背景に、春を思わせる鮮やかな黄色が、チラリチラリと枝に花を咲かせながら、遠ざかっていく。 「――飛べたのか」 「そのようね」  愛玩用の鳥は、わざと羽に傷をつけてある場合が多いという。  王女へ献上されるぐらいである。てっきり、そういった加工がなされているとばかり思っていたが、かの鳥は自由を取り戻し、空高く舞い上がっていった。 「とはいえ、食べるものもない外では、長くは生きられないでしょうけれど」  興味を失った声色でそう言うと、魔女は窓を閉め、元の場所――定位置ともいえる椅子へと戻り、いつものようにページをめくる。  男は魔女の弁に眉を寄せ、言葉を返した。 「生きられないとわかっていて、外へ放ったのか」 「そうよ」 「なぜだ」 「あの子が言葉を覚えたからよ」  吐息とともに、魔女は言った。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!