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見張りとはいえ、ずっと付きっきりというわけではない。
用を足す時、食事をする時。時刻を定めて、交代する。
食事の時間は、報告の時間でもある。
かわりはないか尋ねられるが、彼女がなにかをなしたことは、一度たりとてなかった。
魔女はなにもしない。
ただ、そこに在るだけだった。
あのちいさな部屋で、いったいなにができるというのだろう。
妖術をあやつるというのであれば、父親である王が弑された時にそうしているであろうに。
休憩から戻る道すがら、侍従とすれ違う。手に持っているのは鳥籠で、例の小鳥がピチョピチョと声をあげている。
籠を掃除するため、ああして引き取りにやってきて、しばらくすると戻ってくるのだ。
魔女の小部屋は、徹底的に閉鎖されている。
彼女を外界とつなぐものは、着替えを持ってくる侍女と、鳥籠を清掃する侍従だけ。
使用人たちは王女であった彼女のことを、どう思っているのだろうか。
接する時は常に表情を変えない彼らは、まるで人形のようだ。
* * *
いつもいつも、いったいなにを読んでいるのだろう。
ひょっとして、そこになんらかの呪文が書かれており、ひそかに解読をこころみているのだろうか。
男が眉を寄せて思案した時、魔女がくすりと笑った。
「そんなもの、あるわけがないでしょう」
「――なんの話ですか」
「おまえ、いま自分がなにを言ったかすら記憶していないの?」
どうやら疑問は口をついて出ていたらしく、魔女はいつになく笑っている。普段の澄ました冷淡な顔がゆるみ、ただの娘のような顔つきとなり、男は驚いて胸の鼓動を速くした。
そういえば、この女はいくつなのだろう。成人はしていると聞いたが、具体的な年齢までは聞かされていない。
男はただの見張り役で、話し相手ではないのだ。
彼女もまたそれを承知しているせいか、こちらに話しかけてくることもなかった。
必要最低限の会話しか、していない。
着替えを運んでくる侍女にすら、話しかけることをしない彼女のことを、男は「下々の者とは会話なぞする気もない、気位の高い王女」だと思っていた。
だがしかし、どうだろう。
受け答えは聡明で、理路整然としている。他国の情勢などにも通じており、男の祖国であるセブロートについても明るかった。
これだけ把握していながら、なぜ国が傾くことになったのか、理解に苦しむ男に魔女は告げる。
「お父さまもそうだけれど、女は政局に口を出すものではないという考えですもの」
「固いな」
「あら、そういった気持ちは、なにもこの国だけではないでしょうに」
「……そうだな」
賢しい者は、足元をすくわれる。
それが女であれば、よくは思わない男も多かろう。
愚かなる独裁政治を敷いた王の周囲にいる輩となれば、考えなぞ推して知るべしだ。
それでも、国の利となるものであれば、受け入れられる。ちいさいながらも「国」として成り立っているのは、交易による利益が大きい。
アンセスには職人が多い。
国内だけで流通していた品物は、丁寧な仕事と質の高さにより、他国の富裕層に高値で売れたのだ。
大量生産による品質低下はさせず、数をしぼって質を維持。生産数を抑えることにより、希少価値もあがる。
魔女が座る椅子もそのひとつで、この派手な色柄は「見せる」ための仕様なのだという。
細い指が椅子の背もたれをなぞる。
緩やかな曲線に指を這わせ、満足そうな笑みを浮かべる姿は、高貴で不遜な王女の顔である。
怜悧な顔は、それだけで彼女の印象を変えてしまう。氷の魔女とは、よくいったものだ。
「セブロートには感謝しているのよ。かの国ならば、アンセスを潰しはしないでしょう?」
「私にはわかりかねますが」
「なかなか良い顧客ですもの。大国だけあって、随分と稼がせていただいたわ」
輸出国の情勢に合わせて売り値を変えるが、セブロートへはとくに上乗せしていたのだという。
とはいえ、不当に値をつけたわけではない。使用する材料の質をあげ、全体の底上げをはかるのだ。受け取り手にしてみれば、最高級の材を使い、かつ一点ものであるという箔もつく。両者にとって良いことずくめの取引だった。
艶やかな笑みを浮かべて、魔女はなかなかにあくどいことを呟く。
やはり彼女は、氷の魔女かもしれない。
* *
「オマエ」
聞こえた甲高い声は、魔女のものとは異なっている。
だが、ふたりしかいない部屋の中で、男ではない声を発する人物は、魔女しかありえない。
「アラ、オマエ」
「――おまえ、しゃべれるのか」
小首を傾げる黄色い小鳥を見やり、男は目を見張る。近づくといつものように男を恐れ「ブレイブレイ、オマエ」と高く鳴く。
「無礼って、おまえな……」
「ブレイブレイ」
狭い鳥籠の中を飛び回るせいで、吊り下げられている鉄製の籠が左右に揺れ動く。
嘆息した魔女がめずらしく近寄って、鳥籠の扉を開けた。
「……そう、おまえ、言葉を覚えたのね」
魔女が差し出した細い指をつかみ、小鳥は身じろぎを繰り返す。魔女は鳥をたずさえて窓辺へ寄った。椅子の背に小鳥をとまらせると、おもむろに窓を開けた。
無風ではあるが冬の空気はひややかで、室内にするりと冷気が滑りこんでくる。
城の一角とはいえ外れに位置するこの部屋は、裏手に面していることもあり、お世辞にも「景色がよい」とはいえない。城の背後に広がる針葉樹林は葉を落とし、尖った先端は槍のように連なっている。
天を撃たんとする軍勢のようだと感じるのは、男が兵士であるせいか。穂先に貫かれる身体を想像し震えが走るが、寒さのせいだと己をごまかした。
男の心情など知るよしもなく、魔女は瞳を細めると、椅子の背を歩く小鳥をもういちど指へ導いた。そうして戸外へ手を伸べると、勢いをつけて振り払う。
ちいさな羽ばたきとともに、黄色い身体が窓の下へ消えた。
おもわず駆け寄った男の目線の先で、ようやく平衡を保った小鳥が旋回し、羽ばたきながら舞い上がる。
枯れた木々を背景に、春を思わせる鮮やかな黄色が、チラリチラリと枝に花を咲かせながら、遠ざかっていく。
「――飛べたのか」
「そのようね」
愛玩用の鳥は、わざと羽に傷をつけてある場合が多いという。
王女へ献上されるぐらいである。てっきり、そういった加工がなされているとばかり思っていたが、かの鳥は自由を取り戻し、空高く舞い上がっていった。
「とはいえ、食べるものもない外では、長くは生きられないでしょうけれど」
興味を失った声色でそう言うと、魔女は窓を閉め、元の場所――定位置ともいえる椅子へと戻り、いつものようにページをめくる。
男は魔女の弁に眉を寄せ、言葉を返した。
「生きられないとわかっていて、外へ放ったのか」
「そうよ」
「なぜだ」
「あの子が言葉を覚えたからよ」
吐息とともに、魔女は言った。
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