遺書

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遺書

 私は文章を書くのが本当に苦手。自分の思いを文字に乗せて表現するという作業がどうしても上手くできない。だから、今まで日記や手記と言った類のものをまともに書いて来なかった。  一番の難関は書き出しね。なにを始めに書き、どのように進めたらいいのか。私にはまるで分からない。事実、今これを書いている最中も、何度も筆を止めては読み返し、失敗作を丸めてくずかごに放り投げている。文章に作法や形式があることは知っているけれど、それに乗っ取ろうという気にもならない。だって、私らしくないもの。  これを書くにあたって、私は自分らしさを全面に出すことにしたわ。形式も文構造も全部捨てて、窓の外のうるさい雨音を聞きながら、私の頭に浮かぶことを綴るつもりよ。  これは、私が私を表現する最初で最後の機会。そして、これを書きあげた時に、私は私の人生に終止符を打つ。  この文章は、私の遺書。遺書であり、独白であり、後悔であり、伝えられなかった愛の言葉。  遺書というものは、大きく分けて二つあるという。自殺を図る人がその理由を書き残すものと、戦地等で死ぬかもしれない時に遺族へ書き残すもの。私の場合は前者。  遺書として書く以上、私が死を選ぶ理由について少し記しておく必要があるわね。  私には幼馴染がいる。家が近かったこともあり、物心着いた時からずっと一緒にいた。どこへ行くにも何をするにも二人一緒だった。  それは十年以上たっても変わらなかった。ずぼらで強気な性格の私と、真面目だけどのんびりした性格のあの子。まるっきり正反対の私達は何度も何度も衝突したけど、結局すぐに仲直りして親友同士に戻った。  正反対なのは、なにも性格だけじゃなかった。頭で物を考えることが好きな私とは対照的に、あの子は体を動かすことが好きで得意だった。そして、お互いの特技はお互いの苦手分野だった。この特性は何かと役に立ち、私達が二人揃えばなんでも出来た。敵無しとさえ思っていた。  何か問題が起きれば、二人一緒に立ち向かう。このことがなによりも嬉しかったし、あの子の唯一無二のパートナーでいられることが誇りだった。この関係が永遠に続くと思っていた。  実際に幾度も難関を乗り越えてきたんだし、何があっても大丈夫だと思うでしょう?  けど、そんな幻想は儚く散った。幼馴染であり、親友であり、唯一無二のパートナーであるあの子は、じわじわと精神を病み始めた。原因はいじめや暴言みたいな悪意ではない。強すぎる期待だった。  私とあの子は、各地を回って困っている人達を助ける活動をしていた。多少の報酬は貰うけど、ほとんど慈善事業。幼い頃に憧れた英雄のように、少しでも多くの人達を笑顔にしたい。そう、馬鹿みたいに意気込んでいた。  活動を始めたのは十四歳のとき。思春期真っ只中っていうのもあって、世界の全てを知った気になっていた。自分達に不可能はないと信じていた。信じてたとはいえ、実際にやってみると年端もいかない子供二人ができることには限界があった。だけど、幼いながらもお互いを補完しつつ愚直に人助けをする姿が買われ、私達の活動は徐々に認められるようになった。大人達から感心された。  そうして活動をつむにつれ、私達にできることも増えていった。ますます名を挙げた。  しかし、その分期待も大きくなっていった。  あの子達に頼めばなんとかなる。あの子達ならなんでもしてくれる。あの子達になら出来ないことはない。  人々のそんな視線に、親友は耐えられなくなった。自分はそんなに優秀な人間じゃない、特別でもないと何度もうずくまって泣いていた。普通の人がしたなら気にも留めないような些細な失敗さえ、私達がすると白い目で見られるようになった。  まるっきり同じ状況下に置かれていたにも関わらずあの子しかダメージを受けなかったのは、私がかなりずぼらな人間だったからでしょうね。他人の視線なんてそれほど気にしていなかった。だからこそ、あの子の苦しみを全て受け止めることが出来なかった。人助けはしたいけど普通でいたいというあの子の願いを、完全には理解することが出来なかった。  あの子のことを全て理解しているつもりだったのに。あの子のことで、私に分からないことなんて無いと思っていたのに。  あの子の精神は蝕まれ、癒しを求めた。けど、活動をやめようと提案しても首を縦に振らなかった。多分、この頃には純粋に人を助けたいという思いだけでなく、強迫観念のようなものもあったのだろう。それはわかっていた。  だから止めようとした。元気な姿に戻って欲しかった。嫌がるのを押し切り、無理やりカウンセリングに連れて行ったことも何度もあった。地元に連れ戻そうともした。当然、できるだけ長く休ませた。けれど力及ばなかった。活動を続けなからも日に日に衰弱していく姿を、何も悪くないのに「ごめんね」って私に謝るその儚い笑顔を、側で見守ることしか出来なかった。  ここまで書いてみたけど、なんだか予定とは違うものになってしまった。遺書なんだから自殺の理由を簡潔に述べて、それで終わりにする予定だったのだ けど。これでは遺書というよりもエッセイね。あるいは自伝小説かしら。  でも、それも悪くないかもしれない。  どうせ話し相手もいないのだし、私の全てをここに綴っておいてもいいわよね。そして、誰かが私の遺体とともにこの遺書を見つけて、読んでくれれば。身内以外にも私という人間と、何よりも大切な親友のことを知ってもらえれば、十五年の人生の中で上位に食い込むほど喜べるんじゃないかしら。  けど、ただでさえ文章を書くのが苦手な私がダラダラ書いたところで読みにくくなってしまうし、それで最後まで読んでもらえなければ少し寂しい。今更な気もするけど、簡潔に、確実に伝えるべきことを先に書くことにするわ。  私が死を選ぶ理由は他でもない、あの子の元に行くため。あの子とまた会いたいから、私は命を捨てるわ。  あの子がいないのに、私一人だけ生きていたって仕方無いしね。あの子のいない世界なんて無意味で無価値よ。  あの子は精神を病んで衰弱していった。けれど、ある日突然元気になった。喉を通らなくなっていたご飯も前みたいに沢山食べて、沢山笑うようになった。理由は教えてくれなかったけど、私はそのことを凄く喜んだ。  今思えば、それは嵐の前の静けさだった。  元気さと引き換えに、あの子の睡眠時間は日に日に伸びていった。元々ショートスリーパーではなかったけど、極端に眠り続けるようになった。初めは溜まっていた疲れがまとめてでたのかと思ったけど、それにしても異常だった。  そして、徐々に記憶障害も出始めた。目が覚めていてもぼんやりしていることが増えた。  私が異常に気がついた時にはもう遅かった。私を中々認識できないだけでなく、あの子は自分自身の名前を誤認していた。本来のものとは違う名前を、自分の生来の名前だと信じて疑わなくなっていた。そして、長くても起床後二時間足らずで再び深い眠りに落ちるようになった。  医者に見せてわかった事実。あの子は奇病を患っていた。病の進行と共に睡眠時間の増加し、段々と夢と現実の区別がつかなくなっていくというもの。肉体の衰退も伴うこの病は精神の過度な衰弱が発症の要因になるらしく、最期は夢を現実だと思い込んだまま、昏睡状態の末に息を引き取るという。世界でも例が少ないため、治療法は見つかっていない。  ――つまり、あの子の死を待つ以外に、できることは何もない。  このことを知った時、私は絶望したわ。絶望なんて言葉じゃ表現しきれないくらい、この世のすべてが嫌になった。失望した。神なんて存在しないんだと実感した。目の前が真っ暗になった。あまりの理不尽さに怒りさえ覚えた。  どうしてあの子が死ななければいけないの? どうしてあの子なの? なんで何も悪いことをしていない、毎日一生懸命に生きていたあの子が? どうして? あの子ほど価値のある人間なんてそういるものじゃないわ。どうせ死ぬなら、価値のない人間が死ねばいいじゃない。そんなの世界中に掃いて捨てるほどいるでしょ? 何であの子なの?  よりによってなんで治療法のない奇病なのよ。ふざけてるの? 運命とやらは、あるいは神ってやつは、いったいあの子に何の恨みがあったの?  こんなこと考えたって仕方がないっていうのは分かってる。でも考えずにはいられなかった。どうしてあの子がこんな目に遭わなければならないのか。どうして治療法が存在しない病なのか。どうして、私じゃなかったのか。  それは今も変わらない。これを書いている間もずっと考えている。  もし、病にかかったのがあの子ではなく他の人だったら。なんなら、私だったら。あの子がかかるにしても、治療法が確立されているものだったら。  あの子が亡くなった今でも性懲りもなく考えてしまう。でも、これは仕方のないことだと思う。あの子は私のパートナーで、片割れで、人生の大部分を共に過ごしたかけがえのない存在。半身を失った気分という言葉があるけれど、私の場合は実際に身体の半分を無くしたようなものなんだから。  あの子が亡くなったのは、今日と同じ、土砂降りの雨が煩わしい日だった。  あの子が完全に目を覚まさなくなってから丁度その日で一か月だった。私は毎日あの子の元に行き、話しかけたり、本を読み聞かせたりした。ひょっとしたら診断が間違っていただけで、あの子は奇病ではないのかもしれない。少ししたらいつもみたいに「朝ごはんなに~?」とか言いながら目を覚ますかもしれない。そんな淡い期待を抱いていた。  そして、いともたやすく裏切られた。本当は分かっていた。期待するのが間違いだった。  私が見ている前で、脈は弱り、呼吸は浅くなり、そのまま静かに十五年という短い生涯に幕を閉じた。  最後の最後まで、目を覚ますことはなかった。  その後のことは覚えていない。いつの間にか実家の自室にいて、ベッドのうえで蹲っていた。全身がずぶ濡れになっていた。その三日後に行われた葬儀には参列したけど、夢でも見ている気分だった。まるで現実味がなかった。  その後一週間くらい部屋にこもっていたけれど、あの子がいないという事実に耐えられなかった。一刻も早くあの子に会いたい。あの子の元に行きたい。そんな思いが強まって、あの子のところへ行くことに決めた。  夢といえば、あの子が死の直前まで見ていたらしい夢について書いておこうかしら。  昏睡状態に陥る前から継続的に同じ夢を見ていたらしく、毎日あの子の元に通っていた時にそれを記録した日記を見つけた。悪いと思いつつ読んでみると、あの子はリアリティのある不思議な世界で、女の子と二人で楽しく過ごしていたらしい。親友同士となった二人は、様々な場所へ出かけては現実世界のことを忘れ、気ままに遊んでいた模様。  あの子を他人、それも実在しない人物に取られるのは不本意だけど、仕方ない。最愛のあの子が幸せに過ごせたのなら、何よりだわ。  さて、書くべきことは全部書いたし、最後にあの子へのメッセージを書いて終わろうかしら。初めの方に「愛の言葉」なんて書いたけど、それらしいことなんてほとんど書けていないしね。  ずっとずっと大好きだった、私の一番の親友のサーシャに向けて……。
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