最後の誕生日

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「うわー、すごい眺め!」 「気に入った?」 「うん」 零斗が用意した部屋は、都内の夜景が一望できるオーシャンビューの部屋だった。この部屋だって、泊まるのに一体いくらするのだろうか。 「でも私は・・・」 「・・・ん?」 「少しでも一緒に居られればそれで良いんだよ?こんな高級なところじゃなくても、家でもなんでも良いの」 「うん、分かってるよ。杏菜はいつもそう言ってくれるよね」 「なんか申し訳なくて。私なんかにこんなにお金使ってもらうのが・・・」 「そんなことないよ、杏菜にはここまでしたい、ここまでする価値があるって俺が思うからするんだ。それに・・・」 「それに?」 「俺が不安なんだよ。杏菜は良い女だから、他に取られないか。だからできるだけ尽くして、俺から離れられないようにしたいんだ」 そう言って笑う零斗を見つめながら、杏菜はなんてずるい男なんだろうと思った。 零斗は今をときめくIT企業の社長で、一代で今の会社を築き、若くして成功を納めた。見た目もよく、元モデルの妻がいる零斗は、世の中の注目の的で成功者の代表みたいな人だった。 何でも持っていて、何でも手に入るであろう零斗。 そんな彼が自分を良い女と言ってくれて、自分に執着してくれる。釣り合わないとは思いながらも、杏菜はその事実に酔っていたりもした。 ピンポン。 一通りスイートルームを見て回っていると、部屋のチャイムが鳴った。 「お、来たね」 零斗は嬉しそうに笑うと、部屋の玄関へ向かう。そしてしばらくすると、ホテルのボーイが持ってきたと思われる白いワゴンを押して戻って来た。 「え?!これって・・・」 「ジャーン!!杏菜が食べたいって言ってたスカイのザッハトルテだよ!」 「・・・だってこれ、お店京都だよね?取り寄せも確かやってないはず・・・どうして・・・」 「まぁ、色々ツテがあって特別にお取り寄せした。俺も食べたかったし」 「・・・ありがとう、用意するの、大変だったでしょ?」 「ん?そうでも無いよ?さ、食べよ!」 感激する杏菜を嬉しそうに見つめながら、零斗はザッハトルテを切り分けてくれた。 一見共通点がなさそうな杏菜と零斗の揃って好きな物。 それはザッハトルテだった。2人とも甘い物には目がなく、特にザッハトルテは一番好きなスイーツだ。 ザッハトルテはオーストリアが発祥とされているチョコレートケーキの一種で、チョコレートでコーティングされた外側と中にアプリコットのジャムが入っているのが特徴だ。 2人はこの中に入っているアプリコットの酸味と、チョコレートの甘みの絶妙な風味が好きだった。 杏菜は零斗がケーキを切り分けてる間に、一緒に運ばれてきたコーヒーをカップに注いだ。2人はザッハトルテを食べる時は、必ずブラックコーヒーと一緒にと決めている。 「んー、美味しい!幸せ!」 ひと口食べただけで広がる甘くてほろ苦いチョコレートと甘酸っぱいアプリコットの香りに、杏菜は幸せそうな顔をする。それを見て、零斗はとても満足そうだ。 「良かった、喜んでもらえて」 「本当にありがとう。こんな幸せな誕生日、初めてだよ」 「俺も杏菜の誕生日を祝えて幸せ」 2人で笑い合うこの瞬間が、いつまでもいつまでも続けば良いのに。杏菜は幸せを噛み締める一方で、そんな切ない想いを抱えていた。
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