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初めてザッハトルテを食べた日
「ふーん。でもやっぱり零斗は、死ぬつもりだったんだと思う」
ある日曜日の昼下がり。
ホテルのカフェラウンジで、あかりはそう呟いた。
相変わらず華やかな美しさを纏った彼女は、ただ座っているだけでも絵になる。杏菜は改めて女性として、魅力的だと感じた。
「え・・・でも、さっき話した通り、猫を助けて・・・」
「それは結果論の話でしょ?」
あかりはそう言うと、ふぅと大きな溜息をついた。
保から零斗の最後の話を聞いたあと、東京に戻った杏菜は思い切ってあかりに連絡をした。
この話は、妻であるあかりも聞く権利のある話だと思ったからだ。
だから今日こうして指定された場所に来て、二度と会わないと思っていたあかりと、再び顔を合わせた。
「精神科に通ってたって話、聞いてたでしょ?」
「はい・・・」
「担当医に詳しく話が聞けて。零斗は会社の経営に大きな不安と責任を感じてた。それから、私と娘への責任も重く感じてて、押し潰されそうだったみたい」
「そうだったんですか・・・」
「プレッシャーと戦って、時々、全部投げたして死んでしまいたいと口にすることもあったそうよ」
零斗が常に大きなプレッシャーと戦っていた。
それはなんとなく、杏菜にも分かる気がした。
一代であんなに大きな会社を築いて、完璧な奥さんと娘がいて、メディアからも持て囃されて。そんな自分を維持するには、きっと沢山パワーを使っていたはずだ。
杏菜の前では常に穏やかで優しい零斗だったが、今となっては、自分に優しくすることすらも彼の負担になっていたのではと考えてしまう。
零斗が亡くなってから気付くことが多すぎて、どうして生きてるうちに色々分かってあげられなかったのだろうと、後悔ばかりが押し寄せてくる。
「でも・・・本当に死ぬつもりだったか・・・分からないじゃないですか?」
「零斗、会社のことも、自分がいなくなっても大丈夫なように色々根回ししてたみたい。自分の仕事は全部引き継いで、自分がいなくなった時の人事も決めてあったって・・・」
「それは、たまたま日頃から備えてたんじゃ・・・」
「それに、これ」
あかりは鞄から1つの封筒を取り出す。そこには見覚えのある零斗の字で、『あかりへ』と書いてあった。
「これは・・・?」
「零斗からの手紙。自分にもしものことがあったら、私に渡して欲しいって。亡くなる少し前に友達に託してたみたい。中には通帳の隠し場所も書いてあって」
「隠し場所?」
「そう。隠し場所を見たら娘と私名義の通帳があって。当面の生活は困らないように、お金を残しておいてくれたみたい」
あかりの話を聞いて、確かに零斗は用意周到すぎる気がした。
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