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「今、冷静になって、すごく思うの。自分は一体彼の何を見てたんだろうって。死ぬまで何も気付かないなんて、妻失格よね」
「そんなの・・・私だって同じです。零斗さんがそんなに思い悩んでるなんて・・・知らなかったです」
零斗が本当に死ぬつもりだったかどうかなんて、今になっては分からない。
ビルから落ちて、永遠に瞳を閉じる瞬間、何を思ったのかなんて想像もつかない。
それでも零斗は、杏菜とあかり、2人の女性の幸せを心から願ってくれていた。
その想いはだけは本物だと、今は信じたいと思った。
「お待たせしました、ザッハトルテお2つです」
何となく数分間の沈黙が続いた後、明るい声で店員が間に入ってくる。そしてキラキラと輝いたザッハトルテを2人の前に並べた。
「先に頼んで置いたの。好きでしょ?」
運ばれて来たザッハトルテを見て目を丸くする杏菜に、あかりはいたずらっぽく笑う。
「え、でも、2つ・・・?」
「私も食べるの。零斗が好きだった味、知りたくて」
「チョコレートですけど、良いんですか?」
「いいのよ。これ1つ食べたくらいじゃ、そんなに変わらないでしょ」
そう言ったあかりは何だか吹っ切れているようで、とても輝いて見えた。
「さ、食べよ」
「・・・はい」
杏菜とあかりは、少し固めなザッハトルテにフォークを入れる。表面のパリッとしたチョコレートを超えると、しっとりとしたスポンジが出てくる。
あかりはこんな風に、ケーキを食べるのは久々だった。娘の誕生日の時も夫の誕生日の時も、どうしても体型が気になってしまって、ケーキは口にしなかった。
『他人からどう見られるか』あの頃のあかりには、それが全てだった。
「・・・・・・」
「・・・あの、どうですか?」
フォークをゆっくり口に運んだ後何も言わないあかりに、杏菜は静かに尋ねる。
「・・・美味しい」
「良かった!」
「え!なにこれ、めちゃくちゃ美味しい。こんなの初めて食べた!」
「ですよね!めちゃくちゃ美味しいんです!」
あかりは無邪気に笑うと、もう一口、ザッハトルテを頬張る。
こんな風に自然に笑うあかりを、杏菜は初めて見た気がした。
結局あかりは、杏菜よりも先にザッハトルテを完食した。とても気に入ったらしく、今度は娘にも食べさせてあげたいと嬉しそうだった。
「でも零斗が・・・生きてるうちに知りたかったな。ザッハトルテが美味しいって。私も2人で・・・食べてみたかったな」
「あかりさん・・・」
「零斗は命をかけて色々教えてくれたのかも知れないわね。私がつまらないプライドのせいで大切なもの見逃してるってこととか」
「私も・・・零斗さんがいなくなって気付いたこと、たくさんありました」
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