初めてザッハトルテを食べた日

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零斗と出会う前まで、とくにやりたいことも夢も希望もない、単調な人生に焦りを感じていた杏菜。自分なんて何も無い、つまらない人間だと思い込んでいた。 それが零斗と出会って、激しい恋に落ちて。 世界の色が変わった気がした。 彼がいれば、何があっても大丈夫な気がした。 仕事も楽しいと思えるようになった。 彼がくれる一言一言が嬉しくて、活力になった。 いけないとは知りながらも、零斗がいない世界なんて考えられないし、考えたくなかった。 それくらい、溺れてしまっていた。 しかし零斗が亡くなって、自分がいかに恵まれた環境にいるか気付いた。 家族、友達、職場、みんな杏菜を思って心配してくれた。 自分のこと、つまらない人間だと思っていたけど、そうでもないと思えることが出来た。 零斗は人生をかけて、杏菜にたくさんのことを教えてくれた、そんな気がする。 これからはもっと、自分に誇りと自信を持って生きていきたい。零斗のためにも。 今は素直にそう思えた。 杏菜は確実に成長して、前を向いていた。 「なんか良い女になった気がする」 「え?!」 「・・・さすが、零斗が好きになった人だわ、悔しいけど」 あかりが杏菜が密かに思っていたことをそのまま口にしたので、驚く。 「あかりさんこそ。なんか吹っ切れたって感じで、今、いい感じだと思います。さすが、零斗さんの奥さんです。かなわないです、ずっと」 「・・・ありがと。嘘でも嬉しい」 「嘘なんかじゃ・・・!」 「分かってるわよ、冗談。じゃ、私、もう行くね。・・・今度こそ、永遠にさよならだね」 「・・・はい。お元気で」 あかりは伝票を手に取ると、さっと席を立った。杏菜が申し訳ないから自分が払うと言うと、 「最後ぐらいカッコつけさせて」 と、笑ってそのまま支払いを済ませた。 最後に見たあかりの姿は、無理にカッコつける必要がないぐらい、格好良かった。 あかりが帰った数分後、杏菜もカフェラウンジを出る。 空を見上げると、零斗を最後に見送ったあの日のように透き通るような青空が広がっていた。 アスファルトの道を1歩踏み出す。 ここからちゃんと自分に自信を持って生きていく、今日はその最初の1歩だ。 せっかくだからこのまま、新しい服でも買いに行こうかな。 杏菜はしっかりと、軽やかにアスファルトを歩く。間近に迫ってきた春の予感を感じながら、妙にウキウキした気分になる。 そのまま楽しそうに、杏菜は街へ消えていったーーー。
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