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人ごみのなかに、君を探すのが好きだった。
人ごみのなかに君を探すとき、僕は小学校での出来事を思い出す。
グラウンドでの朝礼や体育の時間の集合、入学式や卒業式の体育館での整列。
君は女子の中でも頭一つ背が高くて、遠目にもすぐに君をみつけることができた。それはまるで君がみつけて欲しがってるみたいだった。
小学生の頃、二年生の時のこと。僕には周りから冷やかされるほどの女の子の友達がいた。それが君だった。
かわいい女の子だった。自分の好みで言えばクラスで一番のかわいさだった。笑顔がとにかくかわいくてショートボブが似合って、スポーツ万能タイプで細身ですらっとしていて、花柄のワンピースがよく似合ってた。そして僕より背が高かった。いや、ほんのちょっとだけ。
クラスメイトはいつも僕をからかった。とくに男子がひどかった。教室でみんながいるまえで、あからさまに僕と彼女のことを冷やかした。それはきまって彼女が教室にいない時を狙っていて、僕一人を標的としてきた。クラスの男子にしたって、彼女に嫌われるようなことはしたくないんだ。かわいいということは何かと恩恵を受けるものだ。
当の僕は、照れくさくて彼らの集中砲火から逃げてばかりいた。ほんとはそうやって冷やかされることも、僕としてはまんざらでもなかったが、さすがにそれを認めるまでには至らなかった。そんな勇気は僕には到底なかったのだ。
彼女とは同じ団地に住んでいた。棟は違ったがそんなに離れてはなくて寧ろ近い距離だった。僕と彼女の距離が急激に、住む所と同じように近くなったのは美容室での出来事があったからだった。いや美容室ではないな、理髪店というべきか。僕らの住む団地の近くに古くからある地元に愛され続けているのが、外観からも店主やその他の従業員の人柄からもわかる理髪店があった。団地に住む人らは必然的にその理髪店に通った。
僕は長い髪の女性が好きだ。小学生の僕だってたぶんそうだったんだ。そして彼女の髪も長かった。
ある日曜日。僕が理髪店に行くと、そこに見慣れた長い黒髪が目に飛び込んできた。教室で僕がいつも、斜め後ろから眺めている長い黒髪だった。僕には声をかける勇気はなく、男性従業員に案内されるがままに長い黒髪の彼女のとなりに座った。というか座らされた。僕に席を選ばせてくれたとしたら店の出入り口に近い、彼女からは一番遠い席を選んだのだろうけど。まさかそんな照れ隠しが従業員に見透かされて嫌がらせをされたわけではなく、子供は子供で寄せられただけのことだったのだろう。
ばつが悪そうに座る僕に、鏡越しに彼女は視線を合わせてきた。彼女が座った正面の鏡、横目に覗くと彼女と目が合う。彼女が照れくさそうに笑ったから、僕もお返しに照れくさそうに笑ってみた。なんのお返しにもならないのはわかっていたけど。
それから僕は、隣で長い黒髪がばっさばっさと切られていくのを鏡越しにずっと眺めていた。心が騒いでいた。好きだった長い黒髪が切られてしまうことがショックだった。自分の髪型のことなんて頭になかった。彼女の髪がどうなってしまうのかが心配だった。横目で覗く僕の視線に気づき彼女はその度に、はにかみながら笑顔を見せた。お返しに、と思ったがあのはにかみとあの笑顔は僕には技術的に無理だった。少女特有の、彼女にしかできないはにかみと笑顔だった。
彼女にショートボブはとても似合っていた。あんなに好きだった長い黒髪姿が思い出せなくなるくらいに彼女のショートボブに魅了されてしまっていた。もうその時には僕は横目にちらちらとではなく、じっと彼女を見つめていた。鏡越しの視線、彼女に気づかれたら一時撤退。
彼女の髪を切り終えた20代の女性従業員が「どう?かわいいでしょ」と僕に言って微笑んだ。正面の鏡に映る真っ赤な顔した自分と目が合った。僕はあたふたとして、「えっ?」とか、「いや?」とかしか言えなかった。その様子を見ながら僕の髪を切っていた40代くらいの男性従業員と、となりの女性従業員は顔を見合わせて笑っていた。ショートボブの彼女も笑ってたから、真っ赤な顔した僕も遅れをとらないように笑ってみた。
「来週の花火大会、」と彼女が言った。
「は、は、はなび大会?」と僕は驚いた。心の中で花火が爆発したみたいに驚いてしまった。
きっかけはいつも君からだった。
先に髪を切り終えた彼女は理髪店の待合席で僕を待っていた。僕の座る正面の鏡には映らない場所だったので、彼女は帰ったものと思っていた。「さよなら」も言わずに。所詮は家が近いだけのただのクラスメイトなのだと、鏡に映る自分に声に出さずに言い聞かせた。
僕の髪が切り終わると、「さとちゃん、お待たせ〜」と男性従業員が待合席に座る彼女に声をかけた。彼女は「は〜い」と教室で先生に指名された時のように明るく返事をした。僕らは二人して理髪店を出た。
「勇気がいったのよ」と彼女がショートボブの髪に指を滑らせながら言った。
「よく似合ってる、かわいいよ」なんて、とても言えなかった。僕は「そうなんだ」と言って、「そうなんだ、ってなんなんだ」と思った。
「タミヤくんは丸坊主!」と言って彼女が笑った。
「ま、ま、丸坊主?」僕は慌てて両手で髪を触った。散髪の最中も僕はずっと彼女を見ていて、自分の髪型のことなんて気にもしてなかったから、丸坊主にされて気づいていなくても不思議はなかった。
「ふふふ」と、彼女が笑いをこらえるようにして笑っていた。僕の髪は少しばかり短くなりすぎてはいたが、もちろん丸坊主ではなかった。僕はほっとしながら髪をくしゃくしゃっとして笑ってみた。
それから彼女が来週の花火大会の話をしだしたんだ。お互いに家族と行くのかと尋ねあった。偶然にもお互いにその日は親が仕事でそれどころじゃなくて、という話になって、「一緒だね」なんて言いながら僕は勢い任せに「一緒に行こうか」と誘ったんだ。僕らの住む団地のすぐ近くの河原の広場である小規模な花火大会だった。子供だけで行くのにそんなにハードルは高くはなかった。
10年後の花火大会。
小学生だった二人にはそれなりに大きなイベントに見えていたけど、何年かぶりに訪れた河原の広場のそのイベントはとてもこじんまりとした、近隣住民のためのささやかな行事に見えた。
「20時にスタートよ」と聡子からメールが届いた。
僕は聡子に一度も好きだと言ってない。
小中学と一緒の学校に通い、どんなクラスメイトよりも一緒にいる時間が多かった二人。二人はもちろん友達として付き合い、やがてそれが恋人としての付き合いに変わると思っていた。少なからず僕はそう思っていた。長く使い続けたポイントカードが何年か経って、プレミアムな特典が付く特別なカードに切り替わるように。僕らの関係も自然に切り替わるものだと思っていた。そんな馬鹿みたいに。
聡子は20時にスタートだと連絡をくれた。その合図みたいに花火が上がる。ひゅ〜っという音がして、ドーンっと地鳴りのような音がして、拍手や歓声が上がる。
中学を卒業後、僕らは離ればなれになった。僕はこの団地にほど近い公立の高校に通い、彼女は隣県にある私立の女子校に通うことになり、それに伴って一家で引っ越すことになったのだ。
僕は彼女を探す。人ごみのなかに、君を探す。
小学2年の理髪店の帰りにした約束。翌週の花火大会。僕はこれまでの人生を振り返ってあの日ほど晴れを願ったことはない。僕の願いが届いたのか、そもそも晴れる予定だったのか(おそらくは後者)、その夜は問題なく晴れて、僕は彼女と二人で花火大会に出かけたんだ。子供だけではちょっとした冒険にも思えたし、クラスメイトに見つからないようにするためには愛の逃避行のように思えた。もちろん、今思えばのこと。
そんなに大きなイベントではないにしても、近隣住民の多くが集まる花火大会は人ごみで溢れていた。石段に座り花火を見上げる人々を、僕は首を大きく左右に振りながら探した。そして石段を下り河原の広場に立ち、自分自身が人ごみに紛れながらに至近距離で探した。小学2年の時、初めて二人でここに来たあの日のように。
僕はあの日、あの夜、君を探すことができなかった。クラスメイトの友達家族と出くわして僕は意識的に彼女と距離を取り、「家族と来てる」と友達に嘘をついた。その友達家族の姿が見えなくなってから僕は彼女を探したのだけれど、そこに彼女の姿はなかった。花火が打ち上がる音が自分の心臓の音のように聞こえてきた。僕は必死で彼女を探した。僕よりちょっとだけ背の高い、クラスの女子の中でも頭一つ背の高いショートボブの彼女を。
すぐに探し出せると思ったんだ。だけど、結果的に僕は彼女を探し出すことはできなかった。
あの日から僕らは毎年二人で花火大会に出かけるようになった。そして君は「今度は見つけてね」と、かくれんぼをするみたいに面白がって人ごみに隠れた。僕はそれをウォーリーを探せ、みたいにゲーム感覚で探した。それを毎年のように繰り返してきて、僕は毎年のように君をみつけてきたんだ。
一際大きな花火が連続して上がり、拍手と歓声もこれまでとは二三段階ほど上がり大きくなった。
僕にはブランクがある。高校生になってからの二年間、彼女が引っ越したこともあって二人で花火大会に出かけてきた連続記録も途切れ、僕が君を探し出した連勝記録も途切れていた。
「わたしが見つかろうとしてたからよ」とメールが来たのは昨夜のことだ。「これまで僕はずっとさと(僕は聡子をそう呼んでいた)を探し出してきた」と自信満々にメールをした後の返信がそれだった。
僕は必死で探し、それを達成してきたつもりでいたのに、彼女はタネ明かしでもするみたいにそう告げた。そして。
「今度はほんとうに、わたしをみつけて」
僕はそのメールが提示されたスマートフォンの画面をしばらく見ていた。
彼女が二年ぶりに遠くから電車を乗り継いでまで、この町の小さな花火大会に来ることを決めた理由を考えた。そして、僕は二年ぶりに人ごみのなかに彼女を探し出すことを考えた。
「最後の花火が打ち上がるまでに」
君はみつけて欲しいくせに、僕を試すように隠れてる。だけど僕は約束どおりに君をみつけるんだ。まずは君と花火を見るために。
君の長い黒髪は可憐にアップにされていて、中学生の頃のショートボブと一瞬みまがうのだけど。
僕は長い黒髪の浴衣姿の君にもう一度恋をするんだ。
大人の入り口に立った二人の、小さな恋では済まされないような恋を。
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