1章 カエルが叶えた願い

3/3
12人が本棚に入れています
本棚に追加
/20ページ
「……子供ができたみたいなんだけど」  生理予定日よりニ週間が過ぎて、私は優(すぐる)に黙っての妊娠検査薬を使って調べた。結果は陽性で、私はどきどきしながら、彼に伝えた。 「そうか。結婚しよう!」  優はすぐにそう言って、私をぎゅっと抱きしめた。    付き合って三ヶ月、お互いに感情が高まっていたときだった。  私達はそのまま、勢いで結婚した。  幸せだった。  育児が大変だったけど、優も手伝ってくれて、どうにか楽しく過ごせた。  そうして時が過ぎ、私は優斗(ゆうと)が三歳になったのを機に仕事を始めることにした。友達から仕事の話を聞いて、刺激された。まだ三十歳、これからバリバリ仕事もできると思っていた。    でも現実は全然違った。  そして優とよく喧嘩するようになったのは、それからだ。  彼は昇進し、忙しくなった。  毎日、定時に帰らなくなり、私は子供と二人でご飯を食べることが多くなった。  すべて私一人でしないといけない。  友達に飲みに誘われても、いけるわけもなく。 「なんで、私ばっかり!」 「たいした仕事もしてないんだろう? やめればいいじゃないか。俺の給料で十分やっていけると思うけど」 「悪かったわね。私の給料が安くて!」  優は穏やかに返したけど、私はなんだか自分がしている仕事が馬鹿にされた気がして、怒鳴り返した。  ああ、反省。  でも、悔しかったんだもん。  私だって一生懸命仕事してる。  家のことだって、子供のことだって! 「並、並子!」  ふいに名前を呼ばれ、ぐいっと引っ張られたような感覚がした。私はぼんやりと目を覚ます。  最初に見えたのは母の顔だった。  あれ?  私? 「あんた、大丈夫かい? あんまり出てこないから、心配になってお風呂覗いたら、床で倒れていただろう? もう、心臓が止まるかと思ったよ!」 「倒れていた? あ、カエル! あのカエルに殺されかけたんだ!」 「カエル? あんた大丈夫? 変な夢でもみたのかい?」 「夢?」  そうか、夢。  きっと、私……。お風呂場でこけたか、なんかして倒れたんだ。  覚えてないけど。 「ああ、本当もう! あんたはおっちょこちょいだね。孫を見る前に娘に死なれたら、私はどうしていいかわからないよ」 「孫を見る前? お母さん、何言ってるのよ! 孫ならいるじゃないの。優斗(ゆうと)! あ、優斗は?!」 「優斗? 誰だい、それは? それはあんたの彼氏かい?」 「彼氏? お母さん、寝ぼけてる? お母さんの可愛い孫の優斗よ」 「……並子。大丈夫かい? これ何本か、わかる?」  母は訝しげな顔をして、手の平を私の顔の前でひらひらさせる。 「……え、だって」  母さんは真剣だった。  本当に優斗のことがわからないんだ! 「優斗!」  私は母の手を振り切ると、優斗を寝かしつけた私の部屋に走る。そして扉を開けて、驚いた。 「え、」  部屋の様子がまったく違った。  それは私が結婚するまで使っていた状態で、シングルベッドと机が置かれていた。 「並子、大丈夫かい? 明日、仕事休んで病院行くかい?」 「仕事? 私、何の仕事してるの?」 「……何のって、役場に決まってるじゃないか」  世界が変わってしまったらしい。  あのカエルは私の願いを叶えた。  結婚する前、私は役場に勤めていた。  だから、この世界は私が結婚していない世界だ。  優斗、だから優斗は存在していない。  罪悪感がよぎる。  何か悪いことをしたような気持ちだ。  私はとりあえず母に大丈夫だといって部屋に篭った。  嬉しいどころか罪悪感でいっぱいで、気持ちが落ち着かなかった。 「並子。どうだ。気に入ったか?」  ふいにそう声が聞こえ、緑色の光が現れる。それはあのカエルで腕を組んで偉そうに私を見ていた。 「わしはお前の願いをちゃんと叶えてやったぞ」 「夢、夢じゃないの?」 「現実だ。どうだ。嬉しいか?」 「嬉しいって」  嬉しくなかった。  優斗のことが心配だった。 「じゃ、わしはここで消える。新しい人生を楽しめ!」 「か、カエル! ちょっと待って! 元に戻してよ」 「元に戻す? どうしてだ?」 「だって、優斗が心配だし、仕事も……」 「安心しろ。お前の子供は存在すらしていない。痛みも何もあったもんじゃない」 「……でも」  今日、添い寝したことを覚えてる。  優斗は確かに存在してたし、私の可愛い子どもだ。 「願いは戻すことはできない。願ったことを後悔するんだな。じゃ。わしは消えるぞ!」 「カエル!」  私が止めるのも聞かず、カエルは空気に解けるように消えた。 「どうしよう。私なんてことを」  ちょっと願ったことだった。  自由な時間が欲しいと思った。  まさかこんなに事になるとは思わなかった。  私はどうしていいかわからなくて、ただカエルの消えた空間を見つめていた。
/20ページ

最初のコメントを投稿しよう!