6-1.地下室は陰謀の臭い

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6-1.地下室は陰謀の臭い

※ケガに伴う流血表現があります。 ***************************************  縛り付けられた手首と、血を流す肩の痛みに内心で溜め息をつく。しかし表情は変えずに、正面を見続けていた。じめじめした地下室の空気を吸い込んで、カビ臭さに顔をしかめたくなる。  悪事を行う輩が好む地下室だが、確かに音や光が漏れずに都合がいいのだろう。ウィリアムと男、拷問役の青年の3人しかいない部屋で行われる残酷な尋問を、明るい場所で行うのは似合わない。  普段は丁寧に編まれている三つ編みは解け、ウィリアムの傷ついた身体を庇うように肌に貼りついた。血と汗で汚れても整った顔を覗き込んだ男が手を伸ばす。髪に触れそうになった手を避けて身を捩った。腰の傷にも痛みが走る。思わず息が詰まった。 「裏切る気になったか?」  主であり最愛の人である少年王を裏切るよう唆す男の声に、ウィリアムは無言を通した。  どう聞かれようと、痛めつけられようと、エリヤを裏切る選択肢はない。たとえこの場しのぎでも、裏切りを口にする気はなかった。ぎりっと歯ぎしりした男が合図すると、ウィリアムの後ろに立っていた青年が動く。血に濡れた右肩をナイフの柄で傷つけ、塞がりかけた傷を抉るように叩いた。  傷に触れた青年の手が離れても、ウィリアムは顔色一つ変えない。この程度の傷や痛みで己を曲げるほど、温い生き方はしてこなかった。命を狙われたことも、背から腹を貫かれたこともある。少しだけ息を深く吸って、ゆっくり吐き出した。  傷がじわじわと熱を帯びて、熱くなる。痛いより熱い感覚が凌駕した。このあと熱が冷めるにつれて、痛みが襲ってくる。冷静に判断しながら、額を伝う汗の感覚に残り時間を考えていた。  水も食料も与えられぬまま一昼夜。この状態で出血や発熱が続けば、早晩脱水症状で動けなくなる。逃げるなら早いうちだ。まだ身体が動くうちに、奴らの隙をつく必要があった。 「っ……ぁ」  掠れた声をわざと漏らす。近づいた男の顔に嬉々とした色が浮かんだ。ようやく強情な執政が手に落ちると喜ぶ醜い男の姿に、ウィリアムは呼吸を整えてタイミングを計る。ほどけた長い髪から引っ張り出したワイヤーで、手首の縄に切れ目を入れていた。あとはいつ動くかだけ。 「裏切れ、そうすれば助けてやろう」  顎に触れた男の手に気持ち悪さを感じつつ、ウィリアムは意図的に目を伏せた。母親譲りの整った顔に、男の手が触れる。頬を撫でて意味ありげに唇に触れようとした瞬間、ここが我慢の限界だった。  縄をちぎって前に飛び込む。転がった身体の下敷きにした男の腕をねじり上げ、後ろにいた青年への盾にした。予定通り引きちぎれた縄が床に落ちた途端、背後にいた青年の気配が変わった。殺気に反応したウィリアムがとった回避行動は、上出来の部類だろう。  しかし青年はその上を行った。体力が落ちて激痛に動きを抑制されたウィリアムの動きに合わせ、腰の剣を抜いて剣先を喉元に突きつけたのだ。盾にした男の耳を掠める位置の剣は、あと少し動けばウィリアムの喉を突ける位置だった。 「うぎゃ……っ、た、助けろ!」  ヒキガエルのような声を上げた男は、拷問係に助けを求めた。 「……ちっ」  行儀が悪いのを承知で舌打ちする。ウィリアムの苦々しい顔に、青年は淡々と事実を突きつけた。 「その傷がなければ、お前が早かった」  腰と肩の傷が動きの俊敏さを妨げた大きな要因だ。ごくりと鳴らした喉の皮膚を、剣先がわずかに切り裂く。自分だけの問題なら、ここで死んでも構わないが……脳裏に浮かんだのは、泣き出しそうな少年の姿だった。  この命はすでにエリヤに捧げたもの。勝手に捨てる権利はない。オレが死んだら後を追うと明言する主人のことを思い、捻り上げた男の腕を離した。自由になった男が喚きながら、ウィリアムを突き飛ばす。傷口を踏みにじるように蹴飛ばす男が口から泡を吐きながら、興奮状態で騒ぎ続けた。 「……死ぬぞ」  冷たい声に動きを止めた男は、荒い足音を立てて地下室を出ていく。残された拷問係は、床に倒れたウィリアムを助け起こすと椅子の上に縛り付けた。血塗れのシャツがべったりと上半身に貼りつき、呼吸のタイミングで全身が痛い。  結局最初と同じ状態に戻されたウィリアムに、男は「うまくやったな」と呟く。あのまま大人しくしていれば、違う意味で手を出された危険性があった。それを指摘する青年に「なんのことだか?」とぼけて見せながら、ウィリアムはにやりと笑う。  雇い主である男がいなくなった途端に表情を見せるウィリアムの狡猾さを、青年は好ましく感じた。
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