第三章 ふたり

2/4
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/25ページ
*  父の職場での親友だったという深山(みやま)さんとは、駅前の喫茶店で待ち合わせた。  深山(みやま)さんは、意外にも糸万理の伝説が世に知られるようになったのは、父の功績だと褒(ほ)めてくれた。    「父がですが?」  「ご存知ありませんか、女学校で教鞭をとっておられる頃、お父さんは糸万理の郷土史を研究されていたんです。いつか大学の研究室に戻って発表すると、はりきっておられたんですがねえ、途中で研究を断念され、一教師としての道を選ばれたんです」  「いや、初耳です」  「まあ、古い話ですからねえ」  深山さんはコーヒーで喉を潤して、「さて、加倉家にまつわる伝説なんですが」と、本題に入った。  「加倉家の伝説はふたつありまして、こんな話があるんです。この先に大きな川があって姉(あね)龍(りゅう)橋(ばし)というコンクリートの橋が架かっているでしょう」  「ええ」  たしかに大身(おおみ)川にコンクリートの小さな橋がある。  「それにまつわる話なんです」  深山さんから取材させてもらった伝説は以下のようなものだ。  その昔、隣の村へ嫁ぐために馬に乗った花嫁が姉龍橋を渡ろうとしたら、いきなり空から揚羽(あげは)蝶(ちょう)が飛んできて馬の顔にとまった。  これに驚いて馬は花嫁を振り落し、かわいそうに花嫁は川にはまって溺死してしまったので、村人はこの事件を悼(いた)み、その橋を姉龍橋と呼ぶようになったという。  《姉龍》という呼称にしたのは、せめて溺死した花嫁が竜神の女房になって幸せに暮らして欲しいという願いからだ。  話が終わると、深山さんは取材してきた神社の話題に触れて、「あそこは元々、平家の落ち武者の霊を鎮めていたんですよ」と、いう。  「え? 加倉家を祀った神社ではないんですか?」  「いや、いや、あの神社はもっと歴史が古いんです。それというのも戦国末期に祀られた加倉家というのは壇ノ浦で敗れた平家の子孫だったんですよ、今じゃ伝承が途切れてますが、明治維新までこの地域では蝶というのは縁起の良いものではなく、不幸を呼び込むという意味があったらしいんです」
/25ページ

最初のコメントを投稿しよう!