第一章 疑惑

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 オレの母、佐沢(さざわ)洋子(ようこ)は今年で六十六歳になるが、三ヶ月前、胃癌で死んだ父の葬儀のあと、心臓発作で倒れてから様子がおかしい。 と、言っても認知症とか、そういう問題じゃなく、記憶力など四十代のオレより冴えており、まったく問題がないと医者から診断されたくらいだ。 では、どこがおかしいのか?  《身体は母だが、中身は別人》 そんな気がしてならない。 まるで人格が他人と入れ替わったようだ。 心臓発作で入院する前の母は静かな人で、じっと一日中読書をしているような人だったが、退院してからは明るく、よく笑い、漫画やゲームを毎日、飽きもせず楽しんでいる。 なにも知らない他人は「病気が人を変えたんですね」などと感心するが、教師生活を三十年も続けていた母は、それまで子供の遊びに興味を示さない人だった。  近頃では妻さえ騙されて、「この頃のお義母さんは付き合いやすい」などと言うが、人間の習慣とか好みが、そう簡単に変わるだろうか? 服装の好みがまったく違う。食べ物だって以前は和食党で昔から肉類など脂っこい料理はあまり口にしなかったのに、今では苦手なはずの鳥の唐揚げ、てんぷらなどの揚げ物を『美味しい、美味しい』と、もりもり食べる。  服装の趣味も変わった。病気を患う前は地味な色を好んだが、今では派手な赤やピンクのシャツを平気な顔を好み、まるで十代に戻ったみたいに、孫の美香が着ている服を羨ましそうに眺めたりするのだ。  なぜ、こんな疑惑を抱いてしまうのか? 自分でも不思議に思うが、それはきっと子供の頃、四国の祖母からこんな話を聞いていたからだ。  《死んだばかりの遺体は魂が抜けているから、生き物の魂が入り込んで悪戯するかもしれない。だから猫なんかが近づかないようにお棺の前で寝ずの番をするのさ》  そんな記憶があるからこそ、自分の母親を疑いだしたんじゃないだろうか?   しかし、なんともバカバカしい。  妄想にとらわれているだけという気がしてならない。
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