4 戦いの幕開け

2/6
19人が本棚に入れています
本棚に追加
/51ページ
 木陰で涼しみながら、晃一は転送されたばかりのメールを真剣な顔で確認している。気温の上昇に伴い羽織っていた黒ジャケットを脱いだ。滅多なことでは汗をかかない晃一だが、今はその額に汗が数粒浮かんでいる。  晃一の表情は険しい。唇を噛み締めながら何度か同じ動画ファイルを再生し、ファイルに異常がないかを確認しているようだ。液晶画面に映る苦しむ人々の姿は、何度見ても気持ちのいいものではない。 「送り主に心当たりは?」 「ないっスよ。たぶん、これを送るために作った捨て垢なんじゃないかと思うんスけどね」 「同感だ。ひとまずこの動画ファイルの解析、人が苦しんでる原因の特定、は専門家に頼むことにする。このメール以外で被害はあるか? 個人情報の悪用とか、別の犯行予告が送られたりとか」 「ないっス。このメール以外は音沙汰無しっスね」 「わかった。そしたら、良亮、お前は先に戻れ。俺は上に報告をしてから戻る」  良亮の話を聞きながらもスマートフォンを操作する晃一の手が止まることは無い。その目は何度も何度も文字の羅列を追い、神妙な顔で液晶画面の操作を行う。  時折顔から流れ落ちた汗が液晶画面を濡らした。話しかけるような雰囲気ではない晃一に、良亮は無言のまま一礼をしてその場を去っていく。  何度画面をスクロールし、メール本文を読み直しただろうか。晃一はついに、スマートフォンを耳に当てた。電話越しにコール音が何度か聞こえ、その直後に相手方応答する声がした。 「こちら、サイバーテロ対策チームの五十嵐晃一です。寺田さん、大至急調べていただきたい案件があります。例の犯行予告に関連したものです」 「何か手がかりがあったのか?」 「はい。今、手に入れたメール本文とその添付ファイルをそのままそちらに転送しました。動画の方は是非専門家に見ていただき、解析をお願いしたいです」 「了解した。何かわかり次第連絡をいれる」 「ありがとうございます」  良亮に送られた犯行予告で大事なのは犯行内容に関係すると思わしき動画ファイルである。その手の知識のない者が見ても、ただ人々が苦しみながら死んでいるようにしか見えない。だが、その手の専門家が見れば何が原因かわかるはずだ。  全身に確認される発疹、苦しみ呻く人々。これだけを見るなら、何らかのウイルスや毒ガスによるものに思える。苦しそうな呼吸と声は、一度耳にしたらなかなか忘れられない。晃一は動画ファイルの解析を寺田に託し、深呼吸をする。 「俺がしっかりしないとな。これだけで終わらないだろうし」  両頬を軽く叩き、目を覚ます。頬から伝わるヒリヒリとした痛みが力加減を謝ったと教えてくれる。頬にじんわりと感じる熱がやけに熱く感じた。  晃一がモニタールームの扉を開けたのは正午のことだった。扉を開けた瞬間に涼しい風が頬を撫でる。湯船の中に浸かっているかと錯覚するほどの暑さで火照った体が、クーラーの風によって冷やされていく。  普段ならこの時間になると交代で昼休憩を取る。しかし今回はそうもいかない何かが起きているらしい。モニタールームではサイバーテロ対策チームに加え、別の運営チームの人々まで集まって騒いでいる。彼らがしきりに気にしているのは、モニタールームに設置されたテレビの映像のようだ。  モニタールームではサイバーテロ対策チームとは別に、新国立競技場で撮影された複数の映像をリアルタイムで流し、それを監視する人達がいる。様々な場所に設置された機材が撮影した映像に異変がないかを確認したり、中継に向けてその場で映像の編集を行ったりする。  そんなモニタールームでは、複数あるモニターテレビに異変が起きていた。競技の中継を流しているはずなのに、モニターテレビは黒い無地の画面を映し出したまま変化がない。どうやら撮影機材かモニターテレビに何らかの不具合が生じたらしい。 「何事だ!」 「晃一さん、いいところに。大変なんスよ。撮影機材のどこかが何らかのサイバー攻撃を受けたみたいで。さっきから映像が映らないままっス。たぶん、映像の送信を妨害されてるのかと」 「ハッキングされたらアラームがなるはずでしょう?」 「さっきまで鳴ってたっスよ。うるさくて。とりあえず止めたっス。そんなことより、どうしたらいいっスか?」  手法は「電波ジャック」と呼ばれるもので間違いないだろう、と現場の意見は一致していた。これは電気通信における正規の伝送路を乗っ取り、受信者に向けて独自の内容を放送する、というものだ。今はまだ乗っ取りだけで済んでおり、妙な映像の配信はされていない。  東京オリンピック・パラリンピックの開催に向け、映像配信関連の機材にはより厳重なセキュリティシステムをプログラムしていた。だがセキュリティシステムは万能ではなく、難解なシステムをすり抜けてサイバー攻撃を行う猛者もいる。乗っ取られたのが機材の送信機能なのか、編集した映像を配信するパソコンなのか、はまだはっきりしていない。 「今、試合はどうなってますか?」 「一応続行して、カメラによる撮影は続けています。ですが、中継だけは実行出来ず、テレビ局等には臨時の映像を流してもらっています」 「わかりました。ひとまず、使用しているパソコンを調べさせていただきます。良亮達対策チームは機材の確認をし、作業が終わり次第通常業務へ戻ってくれ」  サイバーテロに混乱している良亮に代わり、本日も晃一が指示を出す。ハッカー達が映像関係の機材に攻撃する可能性はあった。ただ、用意したセキュリティシステムを破られることが想定外だったというだけ。上司に対して本日二回目の報告をすることになり、晃一はため息を吐かずにはいられなかった。
/51ページ

最初のコメントを投稿しよう!