1 全ては成功のために

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 新国立競技場では東京オリンピック開会式に向け、着々と準備が進められている。パフォーマンスを披露する人々は練習に励み、本番に備えている。裏方を担う者達は撮影方法や照明などの管理、ボランティア参加者の割り振りにいたるまで、最終調整を進めていた。開会式まであと一ヶ月をきった今日、晃一が新国立競技場を訪れたのは打ち合わせのためである。  サイバーテロ対策チームは現在、ネットを巡回することでテロの可能性を探し、犯罪を未然に防ぐのを目的としている。特にオリンピック開催を間近に控えた今、ネット掲示板の心無い言葉一つにも敏感に反応し、テロを阻止するために発言者の特定などを進めている。  オリンピックは四年に一度行われる、世界的なスポーツの祭典である。多くの国と地域から選手が参加し、競技を行う。オリンピックという舞台において失敗は許されない。開会式を確実に成功させるため、関係者達は密に連絡を取り、話し合い、些細な事にも細心の注意を払う。晃一の手元には、オリンピックに関連した最新の資料が渡されている。 「……という予定になります。上空からの撮影にはドローンの使用を予定しています。何か質問はございますか?」 「ドローンを使うとのことですが、セキュリティの方は大丈夫でしょうか? ドローン本体がハッキングされる可能性があるため、なんらかの対策を講じるべきかと。ドローンへのサイバー攻撃としてマルウェア感染、ネットワーク経由での攻撃、などが考えられます」  近年、技術の発達に伴い様々な機械が登場した。スマートフォンやドローンといった機械は、今では必要不可欠な存在である。このような装置の使用にあたって生じる問題の一つが「サイバー攻撃の可能性」である。  当日使用するパソコン、ドローンがサイバー攻撃を受けてしまった場合、開会式への影響は計り知れない。故に、サイバーテロ対策チームの一員である晃一がドローンの使用を警戒するのは当然のことと言えた。  サイバー攻撃をどうしても避けたいというのなら、パソコンやスマートフォンといった機具を使わないに限る。しかし現実問題、これらを全く使わないという訳にもいかず、サイバー攻撃を警戒しながら機械を使用する必要がある。攻撃をあらかじめ想定しておけば、いざという時に対応しやすい。 「では、どのような対策をすべきでしょうか?」 「具体的には、ドローンが使用不可となった場合に備え、ドローンとは別の撮影機材を準備すること、でしょう。関係者のパソコンはもちろんのこと、個人のスマートフォンや会場で使用する無線LANなど、ネット接続に関連する機器には細心の注意を払ってください」 「ドローンとは別に、予備の撮影の方、検討しておきます。他に意見や質問のある方はいらっしゃいますか?」  今考えなければならないのはサイバー攻撃を未然に防ぐこと。そして、当日何が起きても開会式を遂行すること。いざという時に備えて代替案を講じておくことは無駄ではない。晃一の発言に感化されてか、打ち合わせの参加者数名から手が上がった。  開会式に向けた話し合いは昼食を挟み、夕方まで続けられた。今回の話し合いは関係者の一部が対象であり、参加した者達は他の関係者にその内容を伝えなければならない。他の関係者達にどの情報をどの程度伝えるのかは、参加者次第である。  サイバーテロ対策チームから今回の話し合いに参加したのは晃一と良亮の二人だけ。チーム内で共有するべき内容を確認するために、二人は新国立競技場から離れたところにある喫茶店で向かい合っていた。注文を手短に済ませると、早速本題に入る。 「さーて、どうします? とりあえず晃一さんが言ってた件は共有するとして、細かい流れとか出演者についてとか、伝えるべきっスか?」 「お前、一応チームのリーダーなんだろ? 少しは自分で考えろよ。遊びたいとかデートしたいとかいってる場合じゃないぞ?」 「そんなこと言われても困るっスよ。確かに俺はリーダーですけど、技術とか経験は全然で。そもそもここ数年でどうにか身に付けたって感じなんスよね。下手に考えるよりは、この手に詳しそうな晃一さんに聞く方が早いかなって」  晃一と良亮は同じ「サイバーテロ対策チーム」に所属している。しかしこれは東京オリンピック・パラリンピックの開催に向けて臨時で設立されたものであり、元々の所属場所は異なる。  良亮はオリンピック・パラリンピック競技大会関連組織のセキュリティ関係者。晃一は警視庁所属のサイバー犯罪捜査官。年齢とサイバーテロに関する知識では晃一の方が上にあたる。  良亮の言葉に、晃一は本日何度目になるかわからないため息を吐いた。店員が運んできたカフェラテを一口飲んで、心の奥底で沸き上がった怒りと呆れが入り雑じったような感情を抑え込む。  年齢の違いのせいなのか、所属場所の違いが原因なのか、良亮の言動は晃一を不快な気持ちにさせることが多い。ここ一ヶ月ほどでようやく慣れてきたが、時折なんとも形容しがたい感情が込み上げることがある。 「なにも考えてないわけじゃないっスよ。上空からのドローン侵入に警戒しなくちゃとか、撮影・放送を行うチームと連携しなきゃとか、考えてはいるんスよ。ただ、自信がないというか、一人で決めるのが少し不安というか……」 「少しでも考えてるならいいよ。当日は、ドローンの動きや異変が把握できるようにしないといけないな。何か起きる可能性が高いし、敵は国内だけとは限らない。いざという時に捜査出来るように、俺がこのチームにいるんだ。そこを間違えんなよ?」 「間違えてなんて……」 「この前遊びたいからって俺に仕事丸投げしたのは誰だっけ。お前を補佐するつもりだし、可能な限り知識とかは提供する。けどな……俺は京橋さ――良亮の仕事を押し付けるためにいるんじゃない。そこは間違えるなってことだ」  カフェラテを堪能する晃一の前で、良亮は楽しそうに紅茶の中に砂糖を入れている。話を聞いているかどうか、その様子からは確認出来ない。嬉々とした表情で三本目のシュガースティックを手に取ると、鼻唄を奏でながらティーカップの中身をスプーンでかき混ぜる。 「というか、当日に何か起こること、あり得るんスかね。こんなに備えてれば大丈夫でしょ!」  見ているだけで歯が痛くなるような紅茶を飲むと、その口からとんでもない言葉が飛び出した。耳を疑いたくなるようなその言葉に、晃一の目が大きく見開かれる。彼が飲んでいる紅茶と同じくらい甘い考えに、晃一は目の前が暗くなるような錯覚に陥った。  人を率いる立場にあるというのに、どうしてこんなにも考え方が甘いのだろう。何が起きるかわからないからこそ、こうして事前に対策を講じているのである。大事なのは「あり得るかどうか」ではなく「有事に備えること」。良亮はサイバーテロ対策チームのリーダーに相当する人物だというのに、その言動は立場に相応しくない。晃一の口からまた一つ、ため息が零れ落ちる。
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