1 全ては成功のために

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 晃一は大きく膨らんだビジネスバッグを開け、ノートパソコンを取り出す。それを卓上に置き、立ち上げを行った。現れたデスクトップでは単色の壁紙の上に、用途や項目によって分けられた複数のフォルダが浮かんでいる。フォルダはご丁寧に名前順で右から左、上から下へと規則正しく並べられており、まるで晃一の性格を反映しているようだ。  パソコンにマウスを接続すると、数あるフォルダの中から一つを選び、その中身を開いていく。目的のデータを開いたからなのか、数秒後には液晶画面を良亮の顔に向けていた。よくわからないままに、良亮は目の前に表示されたデータに目を通していく。 「これは、夏季冬季のオリンピック、パラリンピックにおけるサイバー攻撃についての資料です。見ればわかると思いますが、直近の二回――リオと平昌において、サイバー攻撃が発生しています。発生してもどうにかなったのは、スタッフが尽力したからです」 「マジっすか? そんなの、あまりニュースにならなかった気がするっス。あの輝かしい舞台の裏側でこんなことが、本当にあったんっスか?」 「わざわざ嘘の情報を伝える必要はありませんからね。四年前ですら起きていたのです。当時よりサイバー技術の発達した今、当時を超える攻撃を想定しなければいけません」  晃一が良亮に見せたのは、リオオリンピック、平昌オリンピックにおいて確認されたサイバー攻撃の件数のデータだった。晃一自らが調べて作成したのだろう。表やグラフを駆使して作られたそのデータには、どのような攻撃が多かったのか、なども示されている。  データを目の前にして、良亮は言葉を失った。口はポカンと開いたまま動かず、心臓こそ動いているが呼吸の存在を忘れる。息苦しさが限界を迎えてからようやく、大きく息を吸い込む。すると今度は息を吸いすぎて、逆にむせてしまう。 「マジかー。ドラマみたいなこと、本当に現実で起きてるんだ。いや、でももしかしたら俺達の時は――」 「楽観的思考は捨ててください。なにかが起きる。それを前提に動かないと、いざという時に動けませんよ」 「へぇ。というか晃一さん、敬語やめてくださいって。嫌っスよ、敬語」 「問題はそこじゃなくて、あなたのその楽観的な考え方です」  実際に起きたサイバー攻撃の情報を知っても尚、良亮はサイバー攻撃を他人事のように捉えていた。まだ実感がわかないのだ。「サイバー攻撃を受けるはずがない」と考えているからこそ、チームリーダーに相応しくない発言が出来るのだろう。  甘い紅茶を一口飲むと、良亮は再び晃一のパソコンを見つめる。スクロール機能を駆使してデータを何度も何度も確認した。時折ため息と歓声が混じったような声を上げるのは、彼なりにデータを解読しようとしてるからだろう。晃一はその様子をただ見つめるだけだ。 「四年前の時点でこれって……もしかして、敵は国内だけじゃないんスか?」 「当たり前だ。イベントの規模を考えてみろ。だから、何が起きるかわからないんだよ。そこで、事前の予防が重要になってくるわけだ」 「信じられないっスけど、噂では聞いた気がするっス。そういえば最近、変なメールは開かずに削除しろとか言われてるし。今から対策は始まってるんスね」 「それはウイルス対策の一つだろうよ。それでも防げない時は防げないけどな。とにかく、楽観的に考えるのはやめてくれ、頼むから。で、きちんと対策をしろ」 「了解っス」  オリンピック・パラリンピックは世界規模の競技大会である。世界中から注目を浴びるイベントであり、その試合の様子や結果は世界中に伝えられることとなる。その一方で、テロリストに目をつけられやすいイベントでもある。  オリンピック関係者はサイバー攻撃だけでなくテロリストを想定し、非常時に対応しなければならない。仮想敵は国内だけではなく国外にもいる。特にサイバー攻撃に関しては、過去のオリンピックにて国外からの攻撃の例がある。だからこそ、万全の体制が求められているのだ。 「しかも平昌の方なんて、予想されている敵が……」 「良亮、その先は言うな。現在攻撃の可能性が考えられている国はいくつかある。どれも、日本とは様々な因縁のある国だ。そこから先はわかるな?」 「恐ろしいこと言わないでくださいよ! 俺、そういうの慣れてないんスよ?」 「そのサポートのために、俺が補佐にいるんだろうが。とりあえず、現実に起こりうるという認識を待て。いいな?」  晃一の言葉に、良亮が小さく首を縦に振る。だがその顔からは笑顔が消えていた。頬の筋肉がピクリと動くのだが、口角が上手く上がらない。唇が微かに動くも、その隙間から漏れるのは音ではなくただの息だけ。 「事前に備えとけば、事態が起きても軽度の混乱で済む。完全に防ぐのは、正直なところ無理だ。でも、大きな混乱を出さないようにすることは出来る。だから、怖がんな」 「無理っスよ。怖いっスよ」 「ヒヨったら負けだ。いざという時は俺が指揮を執る。だからお前は、自分のやるべき事を優先しろ」 「晃一さん……わ、わかったっス」  突きつけられた現実に恐怖を隠せない良亮。そんな良亮を励ますように声をかけるのは、年長者ならでは。何が起きるのかは当日にならなければわからない。それまでは、可能な限りの策を積み上げることしか出来ない。  不安なのは晃一も同じだ。ただ、晃一は不安が顔に出ないというだけ。湧き上がった恐怖を誤魔化すように、晃一はカップに残ったカフェラテを一気に飲み干した――。
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