4 戦いの幕開け

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4 戦いの幕開け

 連日のように行われる競技の数々。次々と新たな勝者が誕生し、選手の出した結果に世界中が沸き上がる。世界は今、東京オリンピックという名の競技大会によって、一つになろうとしていた。  ネットやテレビ番組では選手達の功績が讃えられ、結果やその背景に注目が集まる。メダル獲得数はもちろんのこと、出場選手の結果はメダルの有無問わずメディアの話題となる。そんな中、サイバーテロ対策チームの者達は競技の結果を知る余裕もなく、オリンピック運営のために戦っている。  七月二十八日、午前十時。新国立競技場のモニタールームでは、サイバーテロ対策チームが一台のパソコンの前に集まっていた。彼らの指揮を取るのは寝癖の残る黒髪に琥珀色の双眸を持つサイバー犯罪捜査官、晃一である。その話の内容は、決して穏やかなものではなかった。 「……というように、先日からネット掲示板における犯行予告が続いている。どれもオリンピック中止を求めるものであり、犯行予告日は閉会式だ。閉会式に備え、会場であるここ、新国立競技場で出来る限りの対策をしたいと思う。何か意見のある者はいるか?」  晃一がチーム構成員に見せていたのは、とある匿名ネット掲示板にて掲載されていたオリンピックに関連する犯行予告である。閉会式開催日である八月七日に何かを起こし、死人を出すらしい。「東京が死の国になる」と断言されていることから、当日はサイバー攻撃ではなく物理的な何かを仕掛けるらしいが、その内容まではわからないまま。  パソコンの液晶画面には、これまで投稿されてきた犯行予告本文が投稿日時と共に並んでいる。日が経過するにつれてその内容は詳細に書かれるようになっており、それに応じて新国立競技場の警備はより一層厳しいものになっていく。 「何も無いなら、話は以上だ。速やかに仕事に戻るように」  誰一人言葉を発しない現状に、晃一がついに場を締めた。サイバーテロ対策チームの人々は、一人を除いてその場から離れ、それぞれの職務を果たすために動き出す。 「良亮、お前は行かなくていいのか?」 「晃一さん。俺、晃一さんに話さなきゃいけないことがあるっス。ここじゃちょっと微妙なので、外で話したいっス」 「……それは、モニタールームを離れる価値があるものですか?」 「……ぶっちゃけると、さっきの犯行予告についてっス。まだ、確証がないんで、晃一さんの耳にだけ伝えるっス。それに関連して、調べていただきたいことがあるっス」  良亮の言葉に、晃一の目が大きく見開かれた。表情こそどうにか誤魔化したが、見開かれた目とぽかんと開いた口が、その驚きの度合を示している。内容が内容だけに、ポーカーフェイスを保つことは出来ない。遠目から見て気付かれない程度に誤魔化すのが精一杯なのだ。 「時間的には、新国立競技場の敷地内が限界です。外に木々があるのはご存知でしょう? その下で話すなら、話を聞きましょう。緊急案件のようなので」 「ありがとうっス。じゃ、晃一さん、早く行きましょう。急いで急いで!」  良亮の手が晃一の手を掴んだ。良亮に手を引かれ、晃一の体がモニタールームの外へと連れ出される。同じモニタールームの中にいる、同僚達の視線が痛い。  新国立競技場の近辺には木々が何本か植えられている。足場に敷き詰められたオレンジ色のタイルと木々の緑が、都会の洒落たマンションのような華やかさを演出する。木々からは蝉の鳴き声が聞こえ、そのせいか体感気温は予想最高気温を上回っている。  息苦しさを感じる熱気の中、晃一と良亮は一本の木を選び、その下で一台のスマートフォンを眺めていた。表示されているのは、とある受信メールに添付されていた動画ファイル。動画には、何かの被害者達が苦しみながら死んでいく様子が映っている。 「……これは?」 「二日前に俺個人宛に送られてきた犯行予告と、動画っスね。この映像にヒントがあるはずなんスけど、俺にはわからなかったっス」 「なんでそれを早く言わなかったんだ!」 「言えないっスよ! 犯行予告の文を読めば、わかるはずっス。今日言うのだって、何度躊躇ったことか」  二人が見ていたのは良亮のスマートフォンに送られてきたメールだった。そのメールには犯人と思わしき者からのメッセージが書かれている。その内容は、ネット掲示板に書かれていたよりも詳しく書かれた犯行予告。晃一は良亮に言われてメール本文に目を通す。  晃一の眼球が何度も左右に動く。時折その指先が画面を下にスクロールした。本文を読み進めていくうちに、無意識のうちに晃一の眉間にシワがよっていく。琥珀色の双眸は微かに潤み始めた。滲んでいく視界を両目で擦ることでなんとか正常に保つ。  個別に送られてきたという犯行予告の概要そのものは、今朝晃一が伝えた犯行予告とそう変わらない。ネット掲示板の方では「死人が出る」とされている部分が動画ファイルによってよりわかりやすく書かれている程度。だがそれよりも気になったのは、メールに書かれている犯行予告では無い部分だった。 「お前、情報を盗まれたのか」 「残念ながら、晃一さんに怒られたその日にはもう、このメールが届いてました。多分、仕事用PCに感染したスパイウェアが、犯行予告の人の作ったやつだったっス」  晃一が叱った直後に良亮がモニタールームを出ていき、その日一日帰ってこない、ということがあった。この出来事は記憶に新しく、晃一は今でもその時のやり取りを明瞭に思い出すことが出来る。あの時は、関係者に偽装されたメールで良亮のパソコンにスパイウェアを送り込んでいた。 「良亮。そのメール、添付ファイルもそのまま俺に転送してくれ。警視庁の方で調べてもらおう。特にその動画ファイルは、起きるかもしれないテロの詳細を予想するのに役立つ」 「お、怒らないんスか?」 「怒らないよ。起きたことは仕方が無い。自業自得ではあるけど、巧妙に仕組まれたマルウェアは気付きにくいからな。今はそれを責めるより、少しでも状況を打開するのが先だ」 「ありがとうっス。今から転送するっス」  晃一に怒られるとばかり思い込んでいた良亮は、予想外の対応に驚きを隠せない。嬉しさのあまり晃一に抱きつこうとして、その腕をはらわれる。晃一の手が密着しようとする良亮の体を押し返した。
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