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第6話
自分がわからない、なんて思ったのは初めてのことだった。
「…たつきくん、ここって」
「第3図書室」
日もあまり入らない古びた図書室には古書独特の香りが部屋に充満している。
中学校舎には中学生向けの第1図書室。
高校校舎には高校生向けの第2図書室があり、寮の近くにあるこの第3図書室はほとんど利用者がいない。
いったい誰が何のために用意して図書室まで作ったのか、非常にマニアックで難解な専門書などがぎっしり納められている。
なので国立大や海外の大学など、ハイレベルな大学を志望する高校3年生が追い込みの時期に駆け込んでくることが稀にあるくらいだ。
新年度が始まったばかりの今は、こんな寂れた場所に来るものはいない。
龍樹は誰にも邪魔をされずに1人になりたい時、よくここに来ていた。
━━━
寮の入り口で落合と会った龍樹は、何か言いたげな落合の手を取ってここに連れてきた。
どんどん人気のない場所になっていく中、2人は一言も口をきかなかった。
掴んだ手には少しも力を込めなかったので、逃げようと思えば逃げられたはずだし、逃げるなら逃げればいいと思っていた。
むしろ逃げて欲しいとさえ思っていた。
しかし、落合は抵抗の口振りも素振りも一切見せなかった。
水樹にも水無瀬にも知らせていない、知り合いどころか誰も来ない自分だけの空間に、なぜ彼を連れてきたのか。
龍樹本人が聞きたいくらいだった。
(あんな人の多い場所でまた運命だ何だって言われたら、俺もこの人も困るからだ)
そう自分に言い訳するしかなかった。
ガラガラ、と図書室の引き戸を閉める音と同時に掴んでいた手を離す。手の中にあった温もりが消えた。
(俺より体温高いのか)
真冬でも手足が温かく、冷えとは無縁な自分。いつも温める側だった。
「たつきくん」
「なんで」
どこか熱っぽい落合の目を見ることができない。
縋るような声を遮って、龍樹は落合に背を向けたまま常より低い声を出した。
「なんで名前知ってんですか」
「それは、さっき」
「なんであんなとこで」
「たつきくん」
「呼ぶな!」
突然大声を出した龍樹に、落合はビクリと身体を跳ねさせた。
なんでなんでなんで。
まるで小さな子どものよう。
頭ではそう思うのに、みっともないと思うのに、勝手に言葉が出てくる。身体がまるでいうことをきかない。
どう考えても自分よりも脆弱なこの人が、怖かった。自分を根刮ぎひっくり返されているようで、怖かった。
「…たつきくん」
離れていった落合の温かい手が、再び龍樹の手に触れた。
まだ少し肌寒いこの時期の夕方は、寒さに強くとも少し冷える。
落合が触れたところから、じんわりと優しい温もりが広がっていった。
龍樹はその温かい手を素早く掴み、
━━━ガンッ!
落合の背にあった古びた本棚に縫い留めた。
「…先生Ωでしょう」
吐息さえ感じられそうな距離で、静かな声で問うと、落合は僅かに顔を引き攣らせた。
言葉は疑問系だが、実際は確信だった。
龍樹はαだ。
Ωの匂いには敏感だし、落合からは常に甘く優しい匂いが僅かに漂っていた。
間違えようがない。
「こんな人気の無い場所にのこのこ付いてきて、ちょっと危機感が無さすぎるんじゃないですか」
「た、つきく…」
「呼ぶなって言ってる」
グッと押さえつけた手に少し力を込めれば、落合の顔が痛みに歪んだ。
………ほらやっぱり。
自分よりもずっと脆弱だ。
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