第6話

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言い方は悪いが、Ωを力で制するのは容易い。本棚に押し付けた手首は折れてしまいそうな程に細く、きっと彼が目一杯暴れたとしても龍樹にとっては可愛い抵抗にしかならないだろう。 僅かに怯えを滲ませた大きな瞳は、龍樹から視線を逸らさない。 ざわざわと自分の中の何かが騒ぐのが、ただただ不快で。 ーーー少し脅かせば、 「首輪もしないで、こんな簡単に連れ込まれて、噛まれても文句なんて言えな…」 空いている方の手で、落合の少し長い襟足を避けてそっとその項に触れたその瞬間。 「…っ…」 古書の香りしかしなかった図書室に、ぶわっと甘い匂いが広がった。 ーーー少し脅かせば、もう近寄ってこないだろう。 そう思ったのだ。 ━━━ Ωの発情期、もっといえば水樹の発情期に出くわしたことがある。あの時もどうしようもない暴力的な感情が湧き上がった。 しかし水樹のそれとは全く違う。 室内に充満した落合のフェロモンの匂いに、龍樹は急速に理性が食い潰されていくのを感じた。 「たつき、く、」 ーーーコレが、欲しい。 クラクラ眩暈がするのに、意識は、欲望はハッキリしている。全身の血が沸騰したかのように身体が熱い。 そっと項に触れた手を滑らせて顎を固定し、グッと上を向かせると、荒くなった落合の吐息を鼻先に感じた。 吐息は一層、甘い。 剥き出しになった白い首。 衝動的にそこに唇を寄せると、ビクリと落合の身体が跳ねて、フェロモンがより強くなった気がした。 「たつきく、まっ、…っはあ」 熱を帯びた落合の声はあまりに甘美で、その声を上げさせているのが自分だと思うとひどく興奮した。 拘束した手を外すと落合は抵抗しようと龍樹の肩を押したが、その手に力はまるで入っていない。全身から力が抜け落ちて、今にも崩れ落ちそうな落合の脚の間に片脚を入れて支えてやると、既に熱くなった落合のそれに触れた。 「んっ!あ、く…ダメ、待って…」 「なにがダメだよ、散々そっちが誘ったんだろ」 「ち、が…」 「違わない」 運命だと声をかけてきて。 待ち伏せなんかして。 こんなところまで付いてきて。 どの口が違うというのか。 キッチリ締められたネクタイに手を掛けて、その煩い口を塞いでしまえと顔を寄せた。そしてその唇が重なる直前。 ビタッと、龍樹の動きが止まった。 ーーーやだ、やだぁ痛い、痛い…! ーーーな、にしてんだよ!水樹!水樹ぃ! 脳裏に浮かぶ、心の奥底に封印した記憶の欠片。 泣き叫ぶ水樹。 息を荒くして水樹に被さる男。 それで、そのあと。 ただただ見ていた。指一本動かすことも出来ず、ただそこで見ているしか出来なかったあの光景が蘇る。 ドンッ! 「………あ、」 突然突き飛ばされて受け身を取ることも出来ず、落合はその場に尻餅をついた。呆然と見上げてくる目には涙がたっぷりと溜まっている。それが何を意味する涙なのかわからない。 発情しているからなのか。 それとも拒絶なのか。 期待なのか痛みなのか恐怖なのか。 今自分は、何をしようとした? 図書室には相変わらず落合の強烈なフェロモンが漂っている。あんなにも揺さぶられたはずのそれに、もはや龍樹は恐怖しか感じなかった。 「みずき、」 「え?」 「助けないと」 カタカタと指先が震えてくる。細い呼吸音が自分の喉から聞こえてきて、息苦しくて、龍樹は無意識に自分の喉元に手をやった。それで少しも改善されることはないのだけど。 「たつきくん…?」 動け。 龍樹は数歩、覚束ない足取りで後退る。 落合がそれを追って手を伸ばしたが、その手が龍樹に触れることはなかった。
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