第7話

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怖い人。 その言葉があまりに意外で、なんて言葉を返したらいいのか悩んで、それなのに、 「…怖い?」 結局出てきたのはそんな鸚鵡返しだけだった。水樹は少し気まずそうに頷くと、先を話し出した。 「なんていうか、俺がΩだからかもしれないけど…あーαなんだなって。いや、知ってたけどね?別に水無瀬は自分がαだって誇示しないけど、やっぱり目立ってたし、知ってはいたんだけど…」 なんて言えばいいんだろ、と、水樹は頬を掻いた。 口達者な水樹がここまで口籠るのは珍しい。龍樹は意外に思いながら続きを待ったが、あーとか、んーとか、そういう意味を持たない喃語のようなものしか出てこない。 「でも別に、俺や他のαにそんな反応しないだろ?」 「それがよくわかんないんだよ、わかんないけど…でも奈美もあの人怖い無理って言ってたし、水無瀬がαすぎるんじゃないの?」 「αすぎるってお前表現…」 「龍樹みたいに語彙力ないんで勘弁してください」 水樹は両手を上げて話を打ち切った。その姿はもう話すことはないとでも言わんばかりだった。 恐怖。 龍樹が落合に感じたものと、同じ感情だ。けれど。 (きっと、違う恐怖だ) Ωがαに対して本能的に感じる恐怖。 水樹が感じたのはそれだろう。だとするなら、龍樹が落合に感じたものとは別物だ。 未知の自分を引きずり出して、今までの自分を根刮ぎひっくり返されそうなあのフェロモン。それに抗うことが出来ないのは、なんとなくわかっていた。 だから怖いのだ、落合が。 (…水無瀬は) 水無瀬は、水樹に出会った時、何か感じたのだろうか。 聞けばきっと、彼は答えてくれるだろう。だけど、あまり知りたくない。もしも水無瀬が水樹に何かを感じていたのだとしたら、水樹に惹かれていながら自分の手を取ったことになる。 あの日あの時、あの人の心が自分には無かったのかもしれないなどと、考えたくも無かった。今更水無瀬と再びどうこうなりたい訳ではないが、あの時の幸せな思い出はそのままにしておきたかった。 ━━━ なかなか寝付くことが出来ず、龍樹は眠ることを諦めて身体を起こした。時刻は3時を過ぎた所だった。 隣では水樹が穏やかな寝息を立てて眠っている。2人で一つの布団に入るのは久し振りだった。 普段から幼い容貌が、目を閉じていると余計に幼く見える。双子だから年は変わらないが、まるで小さい弟が眠っているようで龍樹は微笑みを零した。 あのあと水樹の部屋で夕飯を馳走になり、そのまま流れで泊まっていくことになった。 水樹の手料理は懐かしい実家の味がして、学食の濃い味付けに慣れた龍樹に安心感を与えた。 水無瀬は舌がバカだから味がしないって文句言うんだ、と憤慨する水樹の表情は明るく、疲れ切った龍樹の心に癒しを与えてくれた。 Ωの水樹をαの自分が守っていたつもりだったが、結局いつだって助けられているのは自分の方。 目にかかっている前髪をそっと払ってやると、ひくんと長い睫毛が揺れた。 起こしてしまったかと焦ったが、水樹はそのまままた寝息を立て始めた。 (…怖い人、か) 人間、どんなに成長したって結局は強く綺麗で優しいものが好きだ。 αという生まれながらの強さ。 並外れた美しい容姿。 柔和な笑顔と語り口。 水無瀬に第一印象で悪い印象を抱く要素があるとは微塵も思っていなかったので、自分に最も近しい水樹がそんな印象を抱いていたのが少しショックですらあった。 考え事に耽っていると、するりと手に何かが触れる。少し視線を下げると、眠っていたはずの水樹がこちらを見ていた。 「眠れない?」 控えめに微笑んでゆったりと落ち着いた口調で話す水樹は普段と掛け離れてどこか色っぽい。 潜めた声も、気怠げな視線も。 こんな水樹は知らない、と龍樹は少し狼狽した。 「…悪い、起こしたか」 水樹はゆっくり首を振った。 色っぽい、と感じたところで水樹に劣情を覚えることはないのだけど、いつの間にこんな表情をするようになったのかと邪推してしまう。 くい、と寝巻きに借りたジャージの袖を引かれる。借りたと言っても元々は龍樹のジャージで、水樹は度々龍樹のお下がりを貰っては着丈を随分余らせて着ていた。 「横になって目を瞑るだけでも休めるよ」 そう言って布団の中に招かれて、抗うことなく倒れ込めば、少し強引に水樹の腕に抱き込まれた。 とくん、とくん、と規則的に温かい音がする。 遠慮がちに腕を背に回すと、まるで子どもを相手にするように頭を撫でられた。 細い背中だ。龍樹の髪を遊ぶ手も、小さく頼りない。 けれどその背に、掌に、ひどく安心する。 今なら眠れそうだ。 龍樹はそっと目を閉じた。
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