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第8話
「ぅ…え、げほっげほっ…」
おかしい。
こんなのおかしい。
落合は涙と吐露物で汚れた顔を雑に拭うと、便器に身体を預けて項垂れた。辺りに散乱したトイレットペーパーの中に、一本だけ注射器が転がっている。
Ωの発情期を抑える特効薬だ。
よほど薬が合わない体質でない限り、副作用は激しいものの発情自体は抑えられるのに、龍樹と接触して突如始まった落合の発情期は一向に治らなかった。
落合は元々かなり薬との相性はいい体質で、常飲しているピルだけでなんら問題なく生活してこれた。特効薬を使ったのだって、もう何年も前、初めての発情期を迎えた時だけ。それが、どうしてこんなことになっているのか。
落合には答えがわかっていた。
「たつき、くん」
キス、して欲しかった。
思い出すと、またジワジワと熱が込み上げてくる。特効薬の副作用でガンガン鳴る頭の中が、卑猥な妄想で埋め尽くされて、それ以外考えられなくなって。
嫌がる素振りはしたものの、あのまま抱かれたってよかった。少なくとも身体はそれを切望していた。あのまま服を剥がれて、暴かれて、貫かれて、そして噛まれて彼のものになりたかった。
それが本心なのか、ただの本能的な衝動なのか、そんなことはどうでもよかった。
ドクン、と大きく身体が脈打ったのを感じて視線を落とすと、何度も欲を吐き出した筈のものが再び熱を持って自己主張を始めていた。
もう何回出したか覚えていない。胃の中が空になるまで吐いて、頭は割れそうに痛い。指一本だって動かしたくないほど疲弊しているのに、ほとんど無意識のうちにそれを握った。少し刺激してやるとあっという間に硬度を増してさらなる刺激を求めて震えている。
浅ましい身体。
なまじ薬と相性が良くて発情期を普段経験しないからこそ、その嫌悪感は凄まじかった。
(たつきくん…)
発情期の引き金になった、項に触れたあの長い指を思い出す。あの指が触れてくれたら、どんなにいいだろう。どんな風に触れてくれるのだろう。
「はあ…あ、ん、んん…」
そっと触れただけのあの強さで焦らされるのか。それともαらしく強引に暴いていくのだろうか。
「ん、くぅ…、は…」
あっという間に蜜を零し始めた自身はくちゅくちゅといやらしい音を立てていた。夢中になって扱いていると、今度は別の場所が疼いてくる。自身を扱く手とは逆の手でその場所に触れると、とろりと蜜が溢れ出ていた。
こんなに溢れるほど濡れることは珍しい。落合は迷いなくそこに指を突き入れた。
「あっ、ふぅう…ん、きもち…」
中が刺激を欲して貪欲に絡みついてくる。ひたすら求めて勝手に濡れるそこは、自分の指一本でさえめちゃくちゃに悦んでぎゅうぎゅうに締め付けて、奥へ奥へと誘い込んでいるのがわかった。それに抗うことなく指を増やして奥まで入れると、目の前を閃光が走った。
中を掻き回す指は止まらない。
ぐずぐずに蕩けたそこを刺激すると、堪らない快楽が押し寄せて落合の理性を食い破っていった。
後ろを使った自慰は滅多にしない。
男だからもちろん自慰そのものはするが、それはただの処理でしかない。適当に扱いて出して終わりだ。こんな風に、誰かを思い浮かべてするなんて考えたこともなかった。
「はあっ、あ、も、や…ぁ、イく…っ」
ぴゅ、ぴゅ、と、既に透明に近くなった薄い精液が弱々しく放出されて、落合は何度目かわからない絶頂を迎えた。と同時に強い吐き気に襲われて反射的に便器に向かうも、もはや出てくるものもない。焼けるような痛みとともに少量の胃液だけが吐き出された。
痛くて辛くて苦しくて。
何が理由なのかわからないまま涙が頬をつたう。
発情の波が漸く少し引き始めて、少し頭の中が冷静になる。冷静になると、自分のしでかしていることがあまりに常軌を逸脱していて、とんでもない自己嫌悪に陥る。
彼のことなど何も知らない。
自分は教師で、彼は生徒だ。それ以上でもそれ以下でもなく、またそれ以上には決してなってはならない。
確かにあの時運命を感じた。
感じたと思った。
でもそんなのただの勘違いで、本当は単なる一目惚れだったのかもしれない。本当に運命の番なんてものが存在するのかどうかだってわからないのだ。まだ高校生の彼を、運命なんて不確かなもので縛ってしまうなんて。
そう思うのは、理性。
それでも彼を欲するこれは、本能だ。まるで自分が2人いるよう。それに抗う術など、落合が知りたいくらいだ。
嫌悪。
恐怖。
拒絶。
ぐったりと便器に凭れて、全く働いていない頭を過るのは、別れ際に見せた龍樹の顔。あらゆる負の感情を綯交ぜにしたような表情だった。まだ年若いαには、あまりに似つかわしくない。
なにが、彼にあんな顔をさせたのか。
ーーーみずき、
みずき、という名前には覚えがある。
彼とよく似た顔の、けれど彼より随分幼い印象を受けるあの子だ。
そして思い出すのは、あの冷えた瞳。
ニコニコと可愛らしい笑顔を見せてくれていたのに、一瞬で温度を失ったあの瞳だ。あの瞳を思い出すだけで、発情で火照った身体にゾッと何かが走る。
あの時出会ったあの子と、なにかあったのか。
(たつきくん…)
どんな些細なことでも知りたい。
あの苦痛に歪んだ顔を、少しでも和らげてあげたい。
傲慢だとは、わかっているけれど。
(ああどうしよう)
ふっつりとそのまま意識を手放す直前に、落合はストンと自分の中の違和感が消え去るのを感じた。冷静になった頭でもこんなに囚われている。
(俺、たつきくんが、好きだ)
本能で欲しているのは間違いない。
けれどそれ以外の部分も、いつの間にか彼に惹かれていたのだ。
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