第1話

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第1話

朝の食堂は寮生の大半が使用するため、ガヤガヤと騒がしくて狭苦しい。 中学からこの寮で生活して既に6年目に入り慣れたものだが、基本的に静かな空間を好む龍樹は、やはりこのむせ返るような人の波が苦手だった。 ごく簡単なものなら自分で作れなくもないし、自炊も許可されているが、毎朝自分のためだけに用意するのは些か面倒でだ。学食嫌いの双子の兄が毎日せっせと自炊しているのをたかりに行くこともあれど、眉間に皺を寄せながら食堂に来ることも多かった。 食券機の行列に目を向けると、この人混みの中でも一目でわかるその後姿が目に付いた。 丁度いい。 「…はよ。」 ぽん、と自分より少しだけ高い位置にある肩を叩くと、その人は金髪とも茶髪とも取れる明るい髪をふわりと揺らして振り返った。 「おはよう。」 耳に心地良いテノールを聞き流し、するりとその隣に身を滑り込ませる。 律儀に行列に並ぶのは出来れば遠慮したい。 一緒に食べる為に待ち合わせをしていたことにしてしまえばいい、と龍樹は素知らぬ顔をして後ろに並んでいた生徒に会釈した。 「あれ、今僕横入りのダシにされた?」 「うるさいわざわざ声に出すな。」 透き通った青い瞳にまるで作り物のような美しい顔。 学内では『天使様』などというふざけた渾名で通るこの男は、時々わざと余計なことを言う。しかしその渾名は強ち嘘ではないほどに美しいお人に、面と向かって文句を言える者も極僅かで。 (そりゃあ、これだけ顔もスタイルも良くて、学年どころか全国でも片手で足りる頭のαなんて、次元が違い過ぎて誰も文句言う気にならねぇよな。) 今だって、空席を探して少しウロウロしただけで女子生徒が声をかけてくれたところだ。 真っ赤になってここどうぞ、なんて。 ありがと、と軽い調子で返す優美な微笑は、きっと誰にとっても最高のご褒美だろう。今日の朝食のメインであるアジをきれいに解しながら、龍樹は溜息をついた。 「…溜息多いね?なに、発情期前なの?」 「味噌汁かけるぞ。」 「うわぁ、冗談やめてよ。」 「お前がな。」 「しかもなめこ汁じゃない。」 水無瀬は曖昧な笑みを浮かべて肩を竦めた。 外国の血を引く彼がそうするとひどく様になるが、聞けば日本から出たことは一度もないし、外国語は試験に必要な程度しかわからないという。 そういう割には、授業では随分と流暢な英語を披露してくれるのだけど。 生まれながらにして成功を約束されたα性。まるで水無瀬のための性のようだと思う。 かく言う龍樹本人も、α性を持つ1人だ。 「コーヒーもらってくるけど、龍樹もいる?」 カタンと控えめな音を立てて席を立った水無瀬は、少し伸びている髪を耳にかけた。 その瞬間、仄かに香るよく知った香り。 いつもの水無瀬から香るものとは違うシャンプーの香りだ。 自分も使っているからすぐにわかる。 しかしそのシャンプーを使ったのは、自分の部屋の浴室ではない。 双子の兄の部屋の浴室だ。 (…泊まってきたのか) ぐ、とほんの少しだけ下を向いた。 わかっている筈なのに、時々顔を出すのはもう1年以上も前に断ち切ったつもりの彼への想い。この美しい人が自分のものだったあの頃の幸せな思い出だ。 黄色人種の自分とは違うその白い手が、とても冷たいことを知っている。 冷え性なんだとカイロを揉む彼の手を、強引にポケットに誘ってその中で繋いだ日を昨日のように思い出したが、すぐにその残像を追いやった。 あれからもう1年なのか、それともまだ1年なのか。 「お茶がいい。」 事故だった。 そう、事故だったのだ。 (だって水無瀬はあの時俺を助けてくれたんだから。) その助けが、綺麗な丸い形に収まらなかっただけだ。
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