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幕間/水無瀬 唯の一面
熱いシャワーを浴びてほかほかと湯気の立つ身体に、冷蔵庫で冷やされたミネラルウォーターが浸透していく感覚。
なんとも贅沢だと思う。
水無瀬は一気にペットボトルを半分ほど飲み干すと、ベッドで安らかな寝息を立てている水樹を見て、安堵の溜息を漏らした。
水樹は薬の効きにムラがある。
全く普段と変わらない調子で発情期の時期を過ごせる時もあれば、今回のようにまるで薬が意味を成さない時もある。そしてそういうときは必然的に自分が相手をしなければならない。
ただただ獣のように互いを貪って、疲れたら寝て、空腹に耐えかねて何かを胃に入れたら、また交わる。
水樹と相性が悪いわけでもないが、ひたすらそれを繰り返すだけのこの期間があまり好きでは無かった。
水無瀬はベッドに近寄った。
ついさっきまでもう辛いもう嫌だと泣きながら絶頂を繰り返していたとは思えない、あどけない寝顔だ。くすりと小さく笑みを零してさらりと水樹の髪を梳いてみると、その手触りはほとんど同じだ。
「…馬鹿だね、兄弟揃って」
くすくすと小さな笑いが止まらない。
綺麗なガラス玉のような瞳を細めて微笑む姿は正に天使のよう。
「僕みたいなのに捕まって」
ふんわりとした細い髪の毛は手触りがいい。水無瀬は遠慮なくそ髪を弄び、時折涙の跡が残る頬を撫でる。
「可哀想に」
バチッと目が開いて、そしてすぐにじとりと睨まれた。相変わらず眠りが浅い。
あまりに予想通りの反応で、また笑ってしまう。
「なに…」
「うわ、すごい声」
「誰のせいだよ」
「君でしょ?」
悪怯れなくそう言うと、水樹は寝返りを打って背を向けた。
動いた瞬間に辺りに広がる甘い香りは、発情期特有のフェロモンだ。今は勢いを失っているが、そう時間のたたない内にまた増大して、自分を狂わせに来るに違いない。そうしたらまた馬鹿みたいに交わるしかないのだ。
水無瀬は行為そのものより、むしろ事後特有のこのとろりとした空気が好きだった。だからこそ、ただただ交わるしかないこの発情期というものが好きではなかった。
「ねぇ」
「ちょっと…触んないで」
「龍樹はまだ引き摺ってるのかな」
ピクリと水樹の肩が跳ねた。
そして気怠げに身体を起こすと、何の話かわからないとでも言いたげにこちらを見返してくる。
正確には、どの話かわからない、か。
「あの時僕としなかったこと」
にっこり微笑んで告げれば、水樹の顔は一瞬だけ驚きを示し、直ぐに悔しそうに歪んだ。
「…龍樹は、誰が相手でもしないよ」
水樹はそっと目を伏せた。
実際水無瀬は龍樹と交際していた時期が確かにあったが、彼とは一切性的な触れ合いをしたことがない。
それに不満を抱いていたわけではないが、当然疑問は抱いていた。
「しないっていうか、出来ないんじゃないかなぁ」
水樹はどこか遠くを見ている。
2人しか知らない何かが過去にあったのは明白だが、それを興味本位で暴くのは、きっと龍樹を傷付ける。水無瀬にとってもそれは本位でないので、敢えて質すことをしなかった。
「…水樹だけの問題なら遠慮なく聞くんだけどね」
「はいはい、どうせ俺は代用品ですよ」
「それでいいって言ったのは君だよ」
スパッと返せば、水樹は少しだけ唇を噛んだ。
そう、その顔だ。
その顔が、堪らなく好きなのだ。
気付かれないようにうっそりと笑むと、水樹が被っていた布団を強引に剥ぎ取り、細い首筋に指を這わせた。
「龍樹にこんなことできるわけないでしょ」
そこにある自分がつけた噛み跡に強く爪を立てると、水樹が小さく悲鳴を上げて、辺りに甘い香りが充満した。
大切に慈しみたいという温かな想いは、確かに存在する。
けれどその手段を、水無瀬は知らない。
夏でも冷たいこの白い手は、痛みを与えることで愛することしか知らないのだ。
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