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第11話
落合は浮かれていた。
ニマニマとしまりのない顔に、どこか浮き足立った後ろ姿。心なしか脳天に花が咲いているようにも見える。
校内は1週間後に控えた期末試験のために、特に3年生はピリピリして近寄り難い。
高校生になったばかりで気が抜けている1年生でさえ、夏休みの補習を回避しようと躍起になっていた。
それに呼応するかのように、先生方も毎日遅くまで残ってテストの作成に精を出している。
本来なら落合もその中に加わっているはずだ。
新卒の新米教師、どの程度の難易度に設定し、どんな問題なら全員が平等に普段の実力を発揮できるのか。
先の中間テストでは難しくしすぎたのか、酷い平均点を叩き出してしまい、学年主任に渋い顔をされてしまった。
にも関わらず落合がこうも浮かれているのは、言うまでもない。
龍樹との関係が思った以上に良いものとなっているからだった。
図書室で龍樹の課題を手伝った、というよりは、共に格闘したあの日から一週間弱、龍樹は毎日図書室に来ていた。
落合も赴任してからほとんど毎日図書室には顔を出していたので、必然的に毎日顔を合わせている。
龍樹は鋭い物言いはするものの、以前のような刺々しさは微塵もなく。
時折笑顔を見せてくれることもあって、それがとても嬉しくて幸せで。
それに、昨日はついに聞くことができたのだ。
(橘、龍樹くん)
ようやく聞けた彼の名前を落合は心の中で何度もその名前を繰り返しては、緩んだ頬をさらに緩ませて。
少々不審にも見える。
『一文字で橘。面倒な方の龍に、大樹の樹』
サラサラと書いてくれた名前は、綺麗に整っていたものの、少し右上に傾いていた。
以前のように発情期が誘発られるようなことは無かった。あの時は恐らく、項に一瞬でも触れたことが引き金になったのだろう。龍樹もそれは理解しているのか、それともその気がないのか、項どころか必要以上に近付くことさえない。
本当にただ教師と生徒が談笑しているだけだ。
落合も本は好きだが、龍樹は好きとかいうレベルでは無く、その博識ぶりには度々驚かされた。
α家系で裕福だという実家には父や祖父の蔵書が夥しいほどあり、それを小さい頃から見て読んで育ったという。
そういう小さな情報を自分から話してくれるのが、たまらなく嬉しい。
(今日も、会えるかなぁ)
本当はこの忙しい時期に図書室に入り浸るような暇はないのだが、折角仲良くなれたのだ。
一瞬も無駄にしたくなくて、毎日放課後は龍樹と会うために図書室に通い、仕事は寮の部屋に持ち帰って徹夜している状態だった。
徹夜なんて学生のときはしんどくてたまらなかったが、不思議とそんなことはなく。
まだ20代も前半なのに、若いな俺、なんて思うのだった。10代の中にいると、自分はもう良い年に感じてしまうらしい。
今日ももう放課後になる。
特進科の龍樹はもう少し授業があるだろうが、その時間を待つのさえ楽しくて、落合はにじみ出る幸福感を隠そうともせずいそいそと職員室を出ると、まっすぐに図書室へ向かった。
すると、聞きなれない声に呼び止められる。
「あ、落合先生。」
反射的に振り返った先にいたのは、彼とよく似た容貌。
にっこり微笑むその顔を見て、もう夏になるというのに、ひんやりと背筋が冷えた気がした。
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