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社員食堂にて
俺が勤めている峰藤商事は、都内中心部にある歴史のある商社だ。ビルまるまる一棟自社で、フロアも広い。
そこの7階は社員食堂となっている。店内自体は清潔感があり使いやすいが、メニューの質はそこそこだ。
俺は基本的に自分の席で昼を取ることが多いが、ラーメンが出る水曜日は社食に行くことがほとんどだった。
その日もちょうど、社食の窓際にあるカウンター席で昼を取っていた。
「隣、座ってもよろしいでしょうか?」
声をかけられ、俺は何気なく「どうぞ」と顔を上げ、絶句した。
栗色の髪の長い、美しい女性だった。とても、社食には似つかわしくない優雅な雰囲気を帯びている。表情は無に近いが、それがまた顔そのものの美しさを醸し出していた。
「失礼します」
俺のラーメンの乗ったトレーの隣に、豚のしょうが焼き定食が乗ったトレーが置かれ、無駄な音をたてずに彼女は座る。微かに、芳しい香りが漂った。彼女はアルファだろう。
俺はなるべく彼女を意識しないようにした。この社食は社員なら誰でも使ってよいため、社長や会長もふらりとやって来るし、アルファもベータもオメガも関係なく、昼の時間はごった返しているのが普通だ。だから、なるべく密集度の少ないカウンター席を取っていたのだが。俺はラーメンへ意識を集中し、ズルズルとすすった。
「あなた、オメガなの?」
前置きもなく声をかけられ、むせた。なんとか麺を飲み込んで麦茶で落ち着かせて横に向くと、彼女が二重のキリッとした目でこちらをジッと見つめていた。真顔のまま。
「あ、はい、そうですけど」
一応シャツの襟の中に、首に巻いたプロテクターが見えるから、オメガであることはわかるといえばわかる。ただ、この現代においては、第二性別に関してズカズカと触れられることは少なかった。下手するとセクハラ事案になるからだ。
「そうなのね。お名前は?」
「えっ…」
彼女も社員なのであろうが。初対面の人間にいきなり話しかけられ、いきなり名前を尋ねられるのはあまりいい気分ではなかった。さらに、それがアルファとなると若干の不快感もあった。
答えあぐねていると、彼女は表情を変えず、どこからともなく取り出した社員証を俺に向けた。
「私は藤乃宮美琴。以後お見知りおきを」
「は、はあ。私は谷です」
俺も、藤乃宮さんに倣い、首からかけてシャツの胸ポケットに入れていた社員証を取り出して向けた。藤乃宮さんは尚も表情を変えずに社員証と俺の顔を見比べて軽くうなずいた。
「そう、谷さん。よろしくね」
俺との会話はそれっきりで、彼女は静かに手を合わせ食事を始めた。
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