プロローグ

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彼女は笑う時に少しだけ目を背ける。だから、きっと誰にも言えない秘密があるのだと僕は思ったのだ。 バイトの帰り道、駅を降りると大雨が降っていた。まだ11月に入ったばかりだというのに駅前のクリスマスツリーは瞬いていて、予想外の雨のせいで猛ダッシュさせられている仕事帰りのサラリーマンの濡れたスーツには赤い光がテラテラと反射していた。同じように僕も走り出したが、ダッフルコートを着ていたために雨も光も反射せずにぎっしりと吸収してしまっていて、自分の鳥肌と水浸しのコートが擦れ合う寒気は胃の中までつんざいた。 コンビニの自動ドアが開いて生ぬるいぼわっとした風に対面すると、寒さのせいか、水をしたたらせてしまっているせいか、両腕を軽く広げた状態からしばらく体を動かせなくなってしまった。 少ししてから、ハッと思いレジの方を見ると、彼女は案の定顎でくいっと僕越しに後ろのドアへと合図を送った。僕が立っているせいで自動ドアが開きっぱなしになっていた。僕は両腕を広げたままのそのそと申し訳なさげな顔を装いながらレジまで向かった。 「ドア開けっ放しですみませんでした」 レジまで行って僕がそう言うと彼女は何も言わずに僕がいつも買っているタバコ、ハイライトを1つ手に取り、レジに通してから真顔で言った。 「傘は買わなくて大丈夫なんですか?」 「家、すぐそこですから」 「風邪ひきますよ」 真っ白で華奢な腕、白が強めな韓国を意識した化粧。少し目尻がつり上がった目を細めながら、彼女は僕にハイライトを手渡した。 「ここまで濡れてればもう一緒ですよ、今更です」 僕がそう言うと、彼女は少しにやけながら、 「入り口で固まっているところ、ちょっとおもしろかったです」 そう言い、ふっと笑って僕から目を背けた。この瞬間になぜか彼女がグッと遠ざかったように感じたのだ。 僕がこの辺りに引っ越してきて約1年、たまにこうして一言二言レジ越しに話すぐらいで、よく考えれば彼女が笑っているのも初めて見たような気もしていて、だから遠ざかるも何もそもそも近くもなかったのだが、なんとなくそう感じたのだった。 僕はコンビニを出て再び走りながらダッフルコートに目一杯雨を吸収する。寒さで歯をガタガタ震わせ、自分が走り蹴った水しぶきにくるぶしを濡らせながら彼女の日常を想像してみる。
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