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「お疲れー。待った?」 「あー、久しぶりぃ」 「この後、どこ行く?」 「何か美味しいもの食べたいね」  吾輩の周囲で飛び交う会話。話し手の姿は変われど、数え切れない程、耳にした常套句だ。  集っては散ってゆく者、独り時間を過ごし、一言も発せずに去ってゆく者――。  吾輩を待ち合わせ場所(ランドマーク)に、春夏秋冬、絶え間なく人間の波は去来する。そのうねりや蠢きは、さながら巨大な生き物のようだ。 「あ、いたいた! はぁーちぃー!」  吾輩の名前を大声で呼びながら、“彼女”がブンブンと右腕を振っている。旅立つ者を、遠ざかる列車が小さくなるまで、ただ惜別の想いに突き動かされて振り続けるように、大袈裟な程、左右に動かしている。  ベンチにも木陰にも、吾輩の周囲にも、若者を中心に三々五々人の群はあるが、彼女に注目する視線はない。  この街は、いつの頃からか、随分と無関心になった。かつて斯様な奇行には、衆人の冷たい眼差しが一斉に向けられたものだが。 「はち、久しぶり! 元気だった?」  吾輩に好不調を問われたところで、答えようも無い。  溜め息を吐く間にも、彼女はツカツカと真っ直ぐこちらに向かって来た。  白い肌に、血色の悪い紫かがった瞼と黒っぽい唇。実に不健康極まりない。まるで死人(しびと)の如き有り様ではないか。  しかし、これは化粧(メイク)という代物らしい。そもそも彼女は、吾輩の前に現れる度に表面の様相が異なるのだ。  前回肩まであった黒髪は、背中の半ばまで伸びている。本日の出で立ちは、長丈で裾の広がった、ひと繋ぎのドレスに、透ける程薄い上着を纏っている。葬式帰りか否か分からぬが、全身真っ黒だ。  いつも通り正面に立った彼女は、ちょっと伸びをして、細い指先で吾輩の鼻先を撫でた。生身なら、とてもじっとしていられぬ。こんな時、銅像で良かったとつくづく思う。  独り満足したのか、にっこり笑みを浮かべた彼女は、吾輩の台座下の僅かな段差に引っ掛かるように腰を下ろした。それから、バッグから四角い板を取り出して、周囲の若者達と同様、熱心に覗き始めた。  ……やれやれ。  暮れゆく小さな空を望みつつ、吾輩は再び息を吐く。
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