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思えば、初めて来た時から、彼女は奇行を見せた。
『あー、はちぃ! やぁっと会えたねぇ!』
ショートカットの真っ白な髪に、真っ赤な衣服。細くて長い四肢がヒョロリとドレスから伸びた姿が印象的だった。
彼女は赤いキャリーケースをガラガラと引きずって、広場の入り口まで来ると、不意に仁王立ちした。そして、件の台詞を口にしながら近づいてきたのである。
吾輩は、貴殿を知らぬ。『やっと会えた』は可笑しかろう。
そんな突っ込みは、当然聞こえる筈も無いのだが――彼女は吾輩の正面に進み出ると、突然、赤い靴を脱いだ。台座の段差に爪先をかけ、吾輩の首にギュッと両腕を回してきた。
『ずっと、待っててくれたんだねぇ』
数多の往来を眺めてきた吾輩だが、斯様な振舞いを受けるのは初めてであった。人間の温もりを直に感じたのも、何時が最後だったか。
まるで愛しき者に向けた抱擁の如き仕草に、銅像の身ながら動揺を禁じ得なかった。
『君、何をしているんだ。下りなさい!』
張りのある太い声が飛んできて、彼女の身体に驚きが駆け抜けた。その拍子にツルンと爪先が滑り、
『きゃあっ』
『危ない!』
声が重なり――吾輩の首に腕を巻き付かせた彼女の細腰を、制服姿の警官が抱き支えた。
――パァン
『何すんのよ、スケベっ!』
身を捻って吾輩より離れると、彼女は警官の頬を平手打ちした。
警官は呆気に取られたものの即座に我に返り、憮然とした表情でスーツケースと彼女を掴むと、吾輩の前より退場したのであった。
「はち、またねぇ」
彼女は立ち上がり、吾輩の前足に触れてから、広場の入り口へ駆けて行った。視線の先に、壮年の男性が立っていた。本日、彼女が待っていたのは、この御仁であったようだ。様相同様、彼女の待ち人も、いつも異なる。一度として、同じ男性の隣に立つことはない。人間の番の仕組みは良く分からぬが、きっと斯様なものなのであろう。
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