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 吾輩は犬(銅像)である。名前は……ちゃんとある。誰かね、貴殿は。『名前はまだない』とでも言うと思ったのか? 失敬な。  吾輩には、立派な名前がある。「ハチ」だ。  吾輩は、シブヤと呼ばれる街の駅前広場に居る。  何故、斯様な雑踏に佇んで居るのかというと、生前の吾輩の忠義心に感銘を受けた人間が、銅像にしたからだ。忠義は古来からの美徳の1つで、尊ばれておるからな。  だが、吾輩は忠義心だけで、飼い主である教授先生を待っていた訳ではない。  主人(ボス)に従うのは、犬の習性だし、何よりも吾輩は嬉しかったのだ。駅の改札を出るより早く、吾輩の姿を見つけた時の、教授先生の照れ臭そうな笑顔が見たかったのだ。  ……話が逸れてしまった。  ま、そんな訳で、吾輩の行動を美化した人間達の手によって、吾輩は生前の姿を止めたまま、こうして鎮座して現在(いま)に至る。 「うっわー、マジ混んでる!」 「ウケるんだけど!」  どう見ても大和民族の扁平な顔立ちなのに、異国民の如く藁色の髪をした女性(おなご)達が、吾輩の膝元で大声を上げる。  人ごみを見て、何が可笑しいのか。  動けないので、胸の内だけで小首を傾げた。  生身の頃なら人間の言葉を良く解していた――等と豪語するつもりは毛頭無い。しかし正直、昨今の言葉は、とんと解らない。日本語らしき響きが辛うじて聞き取れるのみだ。吾輩も(よわい)を重ねたからであろうか。
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